金継ぎと美徳

先日、自宅の愛用の急須が割れてしまいちょうどいい機会にと「金継ぎ」(きんつぎ)をして修繕しています。この金継ぎとは、別名「金繕い」ともいい古くは1000年以上の歴史があるといわれます。

具体的には、割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法のことです。現在でもよく「金継ぎ」教室などといって陶磁器の修繕を教える場所があったり、アートとしてそれを展示するようなことも増えているともいいます。

日本人には古来より、物を大切にする文化があり、同時に修繕をすることでより愛着が湧き、本来の器を別の景色として甦らせる美しさがあるとも言えます。古民家甦生に手掛けてから、古いものが修繕され美しくそのいのちを輝かせ甦る姿を何度も何度も見てきました。

通常であれば、割れればすぐに捨てるのでしょうが長い年月共にしてきた「もの」はもったいなくて捨てることはなかなかできません。修繕の技術があるのであれば、捨てなくてもよかったものがたくさんあります。むかしの道具は自然物を用い、できる限り自然物を活かした形で作られたものですから修繕ができないものはほとんどありません。使い道、見立て自体でも様々な用途が生まれ甦生しますから、問題はそれを使う側、用いる側の感性次第に因るのでしょう。

この金継ぎは、やってみるとすぐにわかるのですが修繕するまでにだいぶ時間がかかります。現在は、接着ボンドであっという間にくっつく時代ですから数週間もかけてじっくりと待つことが苦手な人には向いていないかもしれません。

簡単便利にすぐに修繕できるものは、余計にそのものが割れてもまた接着ボンドでと思いますがこれだけ時間をかけて手間暇がかかるものなら割れないようにしようとより心がけるものです。

これは人間関係も同じことですし、何に接するにおいても時間をかけて手間暇がかかっているからこそ大切にしたいと願うものです。むかしの人たちの修繕の心得は、今の時代の生き方を磨くためにも活かせるものが多いように思います。

いくつもの工程を経て修繕される陶磁器のひび割れは、修繕後の金継ぎされた部分を「景色」と呼びます。割れた場所を「金」にするという発想と、それを「景色」と呼ぶ感性はまさに日本人の「美徳」の象徴の一つです。

大量生産大量消費、利己優先のこの時代においてこの金継ぎから学べるものが多いなと実践してみて感じました。将来、なんらかの形で子どもたちにその伝統の意味や価値を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    「愛着」という言葉をだんだん使わなくなっています。それは、「モノを大切にする」とか「生かして使う」という価値観が薄れていることを現しているかもしれません。そもそもは、「愛着があるから大切に使う」のではありません。「大切に使い続けるから愛着がわく」のでしょう。あらゆるところで、その「使い方」を見直す必要があるかもしれません。

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