人にも個性があるように道具にも個性があります。それぞれの個性があるからこそ、その個性をどのように配置し活かすかはその活かす側と活かされる側の調和が必要です。その調和が居心地の善さを生み、全体に安心に満ちた豊かな空間ができていくのです。
そしてその豊かな空間は、四季折々において変化します。家であれば和室を彩る様々な冬の道具たちから季節が変わり夏の道具たちに変わっていくように、それぞれの配置も、そして活用方法も変わってきます。
日本人には「見立てる」という文化があり、それまでの使い方を別のものに見立てて活用したりする創意工夫の感性があります。例えば、水差しを花瓶にしたり、和紙をお皿にしたり、あるものをいかようにも見立て直して活用するのです。
人も同じく、時代が変わり季節が変われば活用方法も変わってきます。本人たちにとっては居心地が善い場所から動きたくないという意思もありますが実際に時代が変わり季節が廻れば、新しい場所を探すか、見立て直して変化をするか、役目が出るまでじっくりと待つしかありません。
その時に如何に全体に調和するかは、道具であれば道具の寛容性や柔軟性、人間であれば素直さが大きな影響を与えるように思います。どのような状況であったとしても、お役に立てるのならと素直な姿勢の生き方をしている道具や人はどのような状況の変化の中で大きな役割を果たし調和してくれるからです。
道具も、いつもと異なる使い方をされていても役に立てる喜びに仕合せそうな雰囲気を感じます。その証拠に使われている道具はいつも磨かれ、手入れされキラキラと輝いて存在感が増していきます。愛着が湧き、またつかわれるという好循環です。
一生懸命にいる場所を照らす、この生きる姿勢が全体調和や全体快適になり自分も活かし全体を活かす生き方になっていくようです。
時代が変わり、季節は大きく変わります。私もあといくつの季節をこの世でみんなと一緒に過ごせるかわかりません。しかしご縁があった仲間たちや道具たちが、出会えてよかったとお互いに感謝し合えるような絆を深めて豊かな生を全うしていきたいと思います。
子どもたちにつながる生き方を譲り遺していきたいと思います。
コメント
人やものを「生かす」には、「智慧」も大事ですが、その前に「愛」が要ります。その人やものを愛することなく使おうとすれば、それは、こちらの都合の押し売りになるでしょう。「愛せない」ときには「裁き心」があり、「素直さ」が足りません。それは、こちらの柔軟性や寛容性の不足でもあります。「その個性をそのまま愛せているか?!」と自問すると、まだまだこちらの器が小ささを感じます。