人は、自分自身を如何に磨き練り上げていくかということに全生命を注入していくことのように思います。これを修身ともいい、人間は自立することではじめて人格と徳を兼ね備えた人物になるように思います。つまりは、人間が目指す理想の姿が修身によって人徳になるということなのでしょう。
しかし実際は人間はつい環境によって怠惰に流されますから、己と向き合い己を正すことは難しく、日々の自己との対話や正対をもって修練や修身をもって錬磨していくしかありません。
森信三さんは、自立ということについて様々な言葉を遺した方でした。この方の言葉には修身とはいかなるものかということが明快に記されています。
「いったん決心したことは必ずやりぬく人間になることです。」
「自己に与えられた条件をギリギリまで生かすことが人生の生き方の最大最深の秘訣である。」
「できないというのは本当にする気がないからです。」
「己を正せば、人はむりをせんでも、おのずからよくなっていく。」
「道徳とは自分が行うべきもので人に対して説教すべきものではない。」
「人間は徹底しなければ駄目です。もし徹底することができなければ、普通の人間です。」
「自分の当然なすべき仕事であるならば、それに向かって全力を傾け切るということはある意味では価値のある仕事以上に意義がある。」
自分自身、自己研鑽と自分の霊性を高めることこそが本来の自分のやるべき挑戦ということです。誰かと比較したり、自分の中で平均と調整したり、ここまでやったらとか評価を気にするのは、自己とはあまり関係のないことです。
自立というものの本質は、自分自身の初心や覚悟を磨いて人格を高めていくこと。そしてそのためにも人は協力し合うことで通してその学び合いの場を醸成していく必要があるのです。
自立と協力は、人間が学び高めていくために欠かせないものです。
子どもたちにどのような場を用意していくことが、もっとも人間として高まっていくのか。脚下の実践から、深く味わい創造していきたいと思います。
コメント
森信三先生は、人が「自分に甘い」のは、「その人の内的生命力の弱さ」であり、「克己の工夫」ができないのは、「その生命力が弱まって弾力性を失っている証拠である」と仰います。また、「甘さの抜けない愛は、事にあえば直ちに憎悪に転ずる」とも仰ってますが、結局、人間関係とは、相手のことではなく、自分の「人間としての甘さ」のことなのでしょう。