病気を観察していると、治癒というものの定義が色々とあることに気づきます。本来、自然治癒は元にあった状態に近づけていくことですが現在の治癒はどちらかといえば進行を止めることに使われているように思います。
治ることがないことを知りながらも、これ以上悪くならないように症状を止めることを治癒というのでは根本的な解決することはないようにも思います。
例えば、風邪薬でいえば症状を緩和してもそれで治癒するわけではありません。他にも湿布薬なども同様に痛みを感じにくくはしますがそれで治癒するわけではありません。
薬を飲めば治ると思い込んでいたり、貼れば治ると思い込んでみてもそれは症状を止めただけで治癒ではありません。病気が出ているときに、無理に動いたり薬を飲んだからと休みもせずに同じように活動すれば病気が治癒すること難しくなっていきます。
病気とは、ある意味では自然な状態から外れてしまった状態だとも言えます。バランスを崩すようなことがり病気になり、それを治癒するためには自然に治癒するまで養生するしかありません。
自然治癒を働きやすくするのは、元の状態に近づける生活を行うことです。例えば、食べ物であれば不自然な加工品ばかりを摂取する生活を、玄米採食や発酵しているものなどむかしからの日本伝統食を中心に風土で取れたもの、また幼少期から自分の身体に馴染んでいるものを食べていることで回復しやすくなっていきます。
自然治癒するには時間もかかりますが、日ごろから自然治癒の状態を働きやすくするための工夫があることが治癒の大前提です。睡眠も、呼吸も、そして運動も、休憩も、精神の安静もすべてにおいて元の状態にするためのものです。
つまりつきつめれば元の状態がわからなくなることを病気というのかもしれません。原点回帰するということや、自然回帰するというのは、何が元であるかを知ることです。
それは理念や初心も同様に、何のためと本質を突き詰めれば本物や自然体になるのと同じです。
子どもたちが確かなものを見失わずに安心して生きていけるように、日々の実践の姿から伝承していきたいと思います。
コメント
「病気」を「問題解決の対象とする」のか、それとも「アラームやメッセージと受け取る」のかで、随分その対応は違ってきます。どうしても「症状」ばかりが気になりますが、まずは「身体が正常に反応し症状として示してくれている」ことに感謝しなければなりません。歳をとり無理がきかなくなって感じるのは、「身体を労ってこなかったことへの反省」です。「我欲の犠牲になっているのはこの身体ではないか?!」改めて、ちゃんとつき合っていきたいと思います。