人が集まり何かを行うというのは、そこに「場」が産まれているからです。その「場」をどのように醸成するかの仕組みは「農」と同じように田畑に種を蒔き、実践を積み重ねていくことで次第に土壌が肥沃になり次第に生きものたちが集まってくるのと同じです。
私たちの「思い」は種とも言えます。
どんな種を蒔いてきたか、そしてその芽をどのように育ててきたか、それをどのように見守り続けてきたかそれによって実をつけるのです。
育つということは、言い換えれば「育つ場」があるということです。そしてその育つ場は、成長し合える環境が用意されているということになります。
私は、保育の仕事を15年間続けてきましたが保育の本質を掘り下げてきました。その中で、如何にこの場づくりが発達に影響があるかを体験を通して実感してきました。私は同時に自然農や自然養鶏、自然治癒をはじめ、風土の中でいかに自然に近づけて自然と共生するかを見つめてきました。
その経験を「場道」という言葉にして、新たに暮らしの甦生に取り組んでいます。
そもそもこの「場」という字の成り立ちは、「土+易」で構成される会意兼形声文字です。これは「土地の神を祭る為の柱状の土の象形」と「太陽が地上に上がる象形」で「あがる太陽を祭る清められた土地」として「場」という漢字が成り立ったといいます。
つまりもっとも神聖な祈りの場所が「場」であったというのが場の字の成り立ちからも垣間見れます。
どのような気持ちで場に接するか、どのような姿勢で場に正対するか、その場を創る人の生き方が出てきます。場によって世の中が清められるように、場によって子どもたちが健やかに育つように最善を盡していきたいと思います。
コメント
農業では「人が土をつくり、その土が野菜を育てる」といいます。松下幸之助さんは「松下電器は人をつくっている、そしてその人が製品を通っている」と仰っていました。また、幸之助さんは、別邸「真々庵」にお客様を招くときは、用意周到、丁寧に抜かりなくお迎えの準備を徹底されたと言います。「畑という場」「会社という場」「別邸という場」それぞれの本質とその役割に応じた「場づくり」というものがあるようです。