帰る家

いよいよ今年の3月から取り組んでいた福岡県朝倉市の古民家甦生の納品がまじかに迫っています。水害を経て、色々と大変なご苦労がありようやく家に帰ることができます。仮設住宅での生活はもともと住んでいた場所ではないのだから、いつか必ず家に帰ろうと思ったはずです。

家に帰りたいという願望は、私たち人類は共通してもっている深い感情のように思います。懐かしい故郷、生まれ育った感謝の記憶、両親や先祖に出会え心落ち着く場所です。

帰る家があるということが何よりも有難いことで、その家がいつまでも末永く建ってくださっているということに心の安堵も生まれるのです。かつての日本の民家は、「家は末代まで続くように」と願い、何百年も耐久するように建てられていました。今の近代建築は、材料も建て方も便利になり安易にできるようになりましたがすぐに壊れて建て替えが必要になります。消費経済の影響で帰る家がなくなるのはとても残念なことです。

私が子どもに残し譲っていきたい家は、先人たちが末永く子孫を案じたような永遠や永久を意識するような家です。まさに日本の風土と共に暮らし、手入れし続けて磨かれた神社のような家です。

今日はこのあと、家主の方々と一緒に梁や桁を磨く予定にしています。家の重量を柱と共に支え、地震から守る存在に敬意とその手入れを教えます。

梁(はり)は、もともと古い建築物では、曲った松の丸太を使っていたことから弓を「張った」ような形状ということで 「張り」と呼ばれ後に現代の「梁」という字が充てられたといわれています。その屋根を支える梁を「小屋梁(こやばり)」床を支える梁を「床梁(ゆかばり)」といいます、そして柱と柱で支えられている梁を「大梁(おおばり)」といいこの大梁に支えられている梁を「小梁(こばり)」といいます。古民家の天井をはがすと、これらの梁が出てきます。むかしの梁は飴色のうっとりした松の木が出てきます。

この梁の語源は「向こうへ渡る」という意味が変化したものといわれます。簡単に言えば橋渡しみたいな存在です。縦を支える大黒柱、屋根を支える棟梁は家にとってとても重要な家を支える役割を担うのです。

家の存在が何に支えられているかを実感しながら生きていくことは、家族を守り家をどのように伝承していくかを教えずとも学べ、その意識や思想、考え方や生き方を無意識に継承していきます。

子どもたちが健やかに元気で幸せになれるように祈り今後を見守りたいと思います。

  1. コメント

    「帰る家がある」 歳を重ねたせいか、この言葉はとても大きな安心になっています。それは、そこに戻って、また以前のような暮らしができるということでもあります。また、親は、都会に出ていく子どもに、「いつでも帰っておいで」と言って見送ったりしますが、それは「家の言葉」であるのかもしれません。ほんとうの故郷は、「帰る家」があっての故郷なのでしょう。

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