社会を保育する

渋沢栄一がどのような人物たちを育成していたか、そしてどのような目利きであったのか。それを残された言葉から洞察してみると、その観点が如何に道徳を重んじたのかということがわかります。

いくつかご紹介したいと思います。

「商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。」

「一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。」

「真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない。」

商売はどうあるべきかという信条が観えます。また、どのような情熱で仕事に取り組むべきかについてはこういいます。

「ただそれを知っただけでは上手くいかない。好きになればその道に向かって進む。もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。」

「そもそも多能は聖人の本色ではないとしても、多能なるくらいの種々の経験ある人にあらざれば真正の聖人となり得ざるべし。」

また日本人としてどう生きるか、その社会人としての生き方としてはこういいます。

「日本では人知れず善いことをするのが上である。自分の責任はもちろん、他人の責任までも追うことが武士道の真髄とされる。」

自他に責任を持つことが武士道である、日本人ならわかる言葉だと思います。また自己修養についてもこう言います。

「心を穏やかにさせるには思いやりを持つことが大事である。一切の私心をはさまずに物事にあたり、人に接するならば、心は穏やかで余裕を持つことができるのだ。」

「限りある資産を頼りにするよりも、限りない資本を活用する心掛けが肝要である。限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である。」

信用できる人物かどうかは、以上のような言葉から何を観ていたのかがわかります。同時に社會をどのように育てるか、それをこういいます。

「一家一人の為に発する怒りは小なる怒りにて、一国の為に発する怒りは大いなる怒りである。大いなる怒りは、国家社会の進歩発展を促す。」

「余はいかなる事業を起こすにあたっても、利益を本位に考えることはせぬ。この事業は起こさねばならず、かの事業は盛んにせねばならずと思えば、それを起こし、関与し、あるいはその株式を所有することにする。」

利益本位ではなく、これは社會のために必要な事業であると思ったらその事業を起こし、育て投資し、それを助ける。まさに、世界全体、国家全体、社会を保育するためにすべてを懸けた人生だったようにも思います。

そしてどのような人物だったか、この言葉から直観します。

「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。」

産業人として、渋沢栄一の初心の真心を学び直したいと思います。

 

  1. コメント

    ピーター・ドラッカー教授は、「経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない」と絶賛していますが、横井小楠が『書経』を読み込んで「日本のあるべき姿」を明らかにしたように、渋沢さんが『論語』を読み込んで「経営のるべき姿」を明らかにされたことに誇りを感じます。

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