音を楽しむこと

古民家甦生を行いながら出会った道具の中に、様々な音を奏でるものがあります。音は、それぞれに独特の響きがありうっとりするものや、心が澄まされるもの、気持ちが引き締まるもの、様々です。

それらの音を心で聴き入っていると、なんともいえない楽しみに出会います。まさに音楽の原点はこれらの音の響きを味わい盡す中に存在しているように私は思います。

例えば、現在古民家でご縁があって飾られたり祀られていたりする道具には拍子木や、銅鑼、おりんや風鈴、団扇太鼓や陣太鼓などもあります。人に何かを知らせるために用いられたり、風情を味わうために用いられたり、魔除けで使われたり、お経を讀むときの法具であったり、御祭りのときや戦場での合図であったり、音はそれぞれの用途によって様々な音色を奏でます。

古来、私たちの民族は様々な音を楽器にしてコミュニケーションを行っていました。言葉がたとえ通じない生きものたち同士であっても、その音の響きから通じ合う共通の感覚を持ち合わせていました。

優しい音、怖い音、警戒の音、安らぎの音、危険な音、それらの音の本質を見極め、音を暮らしの中に取り込んでいきました。現代はメロディーやリズムばかりに目が行きがちですが、本来の耳で聴く原始的な音に対してもっと懐かしみ親しむ必要があるのではないかと私は感じます。

なぜなら音は、私たちのいのちの姿の顕現したものだからです。生き方に触れて人はいのちと出会います。いのちは音であり、音がいのちを伝えますから音を楽しむことはいのちを楽しむことにほかなりません。

本日は、不思議なご縁に導かれて聴福庵でスイス人の音楽を愛するミュージシャンと地元で4歳頃から唄を歌い、人々を唄で仕合せにしたいと夢見ている若い日本人の歌手がセッションをします。言葉の壁も超え、歳の差も超え、音を中心につながりみんなと音楽を楽しみます。

日本には天地開闢から八紘一宇という理念がありますが、世界人類が平和であることを祈るのにこの「音楽」はとても美しく素晴らしい和を奏でる道具であることは誰もが認めるところです。聴福庵が子どもたちの未来に向けて、一つの舞台として活躍してくれるのが楽しみです。

  1. コメント

    「音」は「波動」であり、それ自体の「声」でもあります。また、そのものの「個性」のひとつのカタチと言えるでしょう。しかし、「音」はそのものだけでは鳴ることはできません。音が鳴るには、何らかの接触というか、他のものとの「触れ合い」が必要です。その触れ合う相手、あるいは、触れ合い方によって、発する声が違うのかもしれません。悲鳴や注意・警告でないか?!悲しんでいないか?!苦しんでいないか?!しっかり聞き届ける必要があるでしょう。

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