看板、暖簾、商標のつながり

看板の歴史を深めていると、暖簾、そして屋号や商標の歴史にもつながってきます。暖簾も平安時代ころから使われていたといわれます。最初は日差しをよける、風をよける、塵をよける、人目をよける、などを目的に農村、漁村、山村の家々の開放部に架けらていたそうです。

それが鎌倉時代の頃には暖簾の真ん中に、さまざまな文様や屋号が描かれるようになったといいます。それが室町時代になると、あらゆる商家がそれぞれ独自の意匠を取り入れ、屋号や業種などを伝える看板の一つになっていったといいます。

しかし文字が読めない人がたくさんいましたからそこには動物や植物から色々な道具類のかたち、天文地理から単純な記号等で描かれたとあります。その描かれたものがそのまま屋号になったケースもあったそうです。

実際に暖簾に屋号などの文字を見かけるようになったのは桃山時代で、江戸時代に入り人々の識字率が高まると文字の入った暖簾になっていったといいます。そこから、屋号、業種、商品名等文字を染め抜いた白抜きのデザインが多く見られるようになり 商家の看板、広告として発展し同時に暖簾に使われる色も多様化したといいます。

看板も暖簾と同じ歴史を辿っていますから、ほぼ暖簾と同様に絵から文字になり、屋号になり、商標になっていきました。現代の看板の原型はこのようにして発展してきたということです。看板という字は、看(み)せるための板(いた)という意味だそうでその文字になる前は”鑑板”の文字を当てられていたといいます。現代の看板ではロゴや商標が描かれています。

この商標はトレードマークといわれたり、ブランドといわれますがもともと家畜などに焼き印を施し、他人の家畜と区別したのが始まりだといいます。何人もの放牧農家が入り交じって放牧を行うと、どれが誰のものか分からなくなります。そこで、焼き印を押すことで、自分と他人の家畜を区別できるようにしておけば、それぞれの家畜の所有者がすぐに分かりました。さらに、良質な家畜を提供する生産者のものであることを、第三者、例えばお客さんが選ぶこともできるためこの方法をとられました。

商標とは、商品やサービスを提供するときに使いますが昔の家畜に焼き印を入れていた歴史があってのものなのです。

看板や暖簾に描かれる商標とは、このような歴史が凝縮されたものです。今、建造中のBA(場)はどのようになるのか、今、まさに検討中ですが新しい幕開けを楽しんでいきたいと思います。

  1. コメント

    人は、屋号や商標を見て、「どんなお店か?!」をイメージします。あるいは、看板の品格やセンスから、「どんな人がやっているか?!」を想像したりもします。なかには「羊頭を懸けて狗肉を売る」ようなところもあるかもしれませんが、「看板」には、やはりその人の「思い」が出るものであり、そこにこそ「願い」が結集しているのではないでしょうか。

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