当たり前を見直す

昨日より鹿児島から長年一緒に子ども主体の保育に取り組んでこられた方々が聴福庵に来庵しています。長い間、体調を崩していた方の快気祝いも兼ねての来庵でしたがとても豊かで癒しの多い時間を過ごすことができました。

自然農での畑での作業や、炭団炬燵でのゆったりしたお茶のお時間、夜は炭料理の数々をともに楽しみました。

感覚が鋭い方は、來庵するとすぐにその雰囲気が分かります。今回も来てすぐに玄関で感動の涙を流され、手を合わせておられました。また地下水の水が美味しいこともあり、何度もお水を飲んでは癒されておられました。

今では当たり前になった水も、むかしは井戸から汲んで水甕に入れてそれを一日使っていました。それに火も、薪を山林からとってきたり炭をつくってそれを少しずつ活用しながら大事にしていました。

何でも便利になりましたが、時代が変われば当たり前は変わるものです。

むかし当たり前だったことは、今では大変珍しくなっています。私が取り組んでいる、暮らしフルネスの生活はむかしの当たり前の善いところはそのままに、現代の当たり前のよくないところを改善して今を温故知新しています。

当たり前を見直していくということは、今を見直していくということです。

懐かしい日々の暮らしは、心の豊かさや充実さ、そしてゆとりややさしさ、思いやりを思い出させてくれます。

子どもの仕事をするからこそ、当たり前を見直していきたいと思います。

  1. コメント

    それが「当たり前になった」背景には、「研究開発」の努力があり、「技術革新」の創意工夫がありました。それが「現在当たり前に続いている」背景には、そのために休まず努力してくれている人がいます。ものごとを「当たり前」だと思ってしまうと、その背景に積まれている「徳」が見えなくなります。また、今だけを見て、その変遷を知らないと、関わってきてくださった無数の古人が積まれた「徳」を忘れることになります。「当たり前」という発想は「豊かさの対極にある」という点に注意したいものです。

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