すべての生き物がつながりがあるように、私たちは無生物のものとも関係によってつながっています。そして時代を超えて、場所を超えて、あらゆるものを超えて私たちは繋がりの中の一つとして存在しています。
これを「ご縁」といいます。
ご縁というものは、目には見えないものですがそれが複雑につながっていて今の私たちと常に関係を持っています。そのご縁を一つ一つ結んで大切につながりを持つように私たちは生き、その結び方が美しいほどにつながりも味わい深いものになっていきます。
まるで人生は、ご縁を結び続けていきそして同時にご縁をほどき続けていくようなもののように感じます。終わりがあるわけでもなく始まりがあるわけでもなく、結ばれ続けるご縁を解き開き、そしてまた結ぶという繰り返しを永遠に行うかのようです。
時には立場が逆転することもあり、またある時は同じ立場であることもあり、それぞれのつながり方が人生の中で何度も交錯していきます。気がついたらだいぶ懐かしいものになっていたり、すぐそばに来ていたりとご縁はまるでいつもそこに最初からいたように振る舞うものです。
いのちは一億年前の記憶とでもご縁によって甦りますし、同時に一億年後を予測してご縁は遡ることもできます。これを仏教では因果応報ともいうのでしょうが、本来の因果は永遠のことを意味するように私は思います。
だからこそご縁は何よりも大切なのです。この「大切」という言葉の語源は、「大いに迫る」と書き「物事が切迫する」といった意味から「捨ててはおけないこと」になり、今は守りたいものとか重要なものになりました。
美しい思い出をもったご縁は次の新しいご縁に向かって花開きます。だからこそ本当に大切にするものはこの「ご縁」であるということでしょう。ご縁を大切にするために、すべての出会いを「美しい」と感じ磨いていくことがご縁をひらくことになると私は信じています。
色々なご縁を味わいながら、美しい思い出を紡いでいきたいと思います。
コメント
ご縁に関しては、「対面同席五百生」という言葉がありますが、「ご縁」というのは、そんなに浅いものではありません。ひょっとすると似たようなことを繰り返している関係かもしれませんが、それでも必要なタイミングで一緒になるのは、余程の深いご縁です。この「縁の深さ」は、ひとつの「安心感」でもあります。ここを信じて、「ご縁にも報いる生き方」をしたいものです。