場の甦生

まもなくBAの開校に際し、たくさんの人たちが建物の方の最終段取りに入っています。家一軒を甦生させているだけですが、それでも相当な作業が発生してきます。

振り返ってみると3月からずっと取り組んでいますから9か月間、270日以上をかけて家に関わってきたことになります。通常の新築とは異なり、またはりぼてのリノベーションとも異なり、復古創新しながら伝統のものを今に温故知新して見立て直して磨いていくのだからかけた時間はまさに「場」づくりそものです。

どのような「場」にしていくか、それは場を守る人によって維持されていきます。神社であれば神社の場、お寺であればお寺の場、他にも家の場、まちの場、学校の場などを含め、それぞれが場にそれぞれの思いを込めて場が醸成されていくのです。

この場には思想があり哲学があります。

そして何よりその「場」を磨いていくための実践が必要です。それは場を創造する人の志や魂によって高められていきます。

これはモノづくりと同じように、単なる物を機械で無機質につくっているのではなくまさに心を籠めて手作業でつくっていくのに似ています。人づくりと同じように、単に知識だけを詰め込んだ人ではなく様々な見守りを通して体験し人格を高めていくのと似ています。

つまり「場」はまるで生命そのもののようにつくられていくのです。

わざわざ私がここまで「場」にこだわるのは、場が生きていると信じているからです。その場の空気を味わいたいと、そしてその場の力を得たい、その場にインスピレーションをもらいたいと多くの人々が集まってくるのです。

だからこそ、私は「場」づくりが重要だと思っているのです。環境を育てていく仕事は、自分の代では完結することはありません。なぜならそれは次世代の活躍の場をつくることだからです。

現代は自分の代のことだけをやって年老いてもいつまでも次世代に道を譲ろうとしない老人が増えています。しかし、若者に必要なものはまさに機会と挑戦でありそれを譲り渡すために先人としての自分がやることは「場」を創ることではないでしょうか。

子ども第一義の理念と「場」づくりは深い関係を持っています。子どものためにも、残し譲れるものを場の甦生によってつないでいきたいと思います。

  1. コメント

    「場」というのは、そこに在るものの「いのち」と、そこに関わる人の「関わり方」によってできていくようです。「もの」であっても、それをつくった人の願いや使ってきた人の思いが生きています。それをどう受け入れ、どう向き合い、どう付き合うか?!その姿勢が「肯定的」であればあるほど、「場力」は強くなっていくようです。特に、「磨く」ということは、「徳に報いることである」ということを強く感じます。

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