昨年末から、歳神様の依り代として鏡餅を床の間に飾ってお祀りしています。一昨年から焼酎を塗ったり、炭を敷いたり、山葵を置いたりと工夫してからカビることがなくなりました。御蔭で美味しくかき揚げにしてみんなで食べては元氣を養うことができています。
この鏡餅ですが、飾り方に意味があることをよく知らない人が増えています。私もむかしから、三法に和紙を敷き、円いお餅を2段にして下から裏白とゆずり葉、そしてお餅を挟んで橙を載せるのは知っていましたがその由来についてあまり関心がありませんでした。
時代の流れと共に、様々なことが縁起がいいと重ねてきたのかもしれませんが簡単にまとめてみようと思います。
一般的に鏡餅の餅は、三種の神器の一つの八咫鏡や、満月、蛇のとぐろや月や太陽、陰陽、心臓などをかたどったものと言われます。白はむかしから神聖な色として好まれてきて、ハレの日には用いられてきました。
そして裏白という葉は、ウラジロ科の常緑性の大形のシダで穂長ともいい葉(羽片)がしだれるので「シダ」と呼ばれます。これを「歯垂る」にあて、さらに「齢垂る」にかけて長寿の意味をもたせ、正月の注連飾りに用いられてきたそうです。また、裏が白いことから、「心の潔白さ」と「白髪になるまで長生きする」ということもあらわしているともいいます。
そしてゆずり葉は、新しい芽が出てくるまで古い葉が落ちないと言われそこから「親から子へ受け継ぐ」という意味になります。また、上に乗せる橙も、冬を越しても実が落ちないことから代々家が栄えていくという意味になるそうです。
このように、私たちの先祖は「縁起」というものを担ぎます。
以前、ブログで予祝のことを書きましたが日本人の先人たちは先にお祝いをしそののちに福が来るのを信じて待つという生き方をしてきました。この縁起もまた似ていて、先に縁起を担いでそうなるように信じるという生き方が縁起には入っているように私は思います。
常に「信」を先にして、それまでは苦労を耐えてでも弥栄えるように振る舞っていくという具合です。私も生き方を日本人の先人に倣い、転換してからは勇気と信じる、実践する、磨く、待つというように純粋に魂を高め徳を積ような生き方に転じていきました。
まだまだ不安な時も少しありますが、おかげ様で清々しい気持ちで日々の暮らしを味わっていくことができています。子どもたちに少しでも先人の生き方が譲り渡していけるように独り慎みながら丹誠を籠めた生き方を積み重ねていきたいと思います。
コメント
「縁起を担ぐ」とか「予祝」は、「祈り」の一種でしょう。この「祈り」は、「信」に支えられています。したがって、「信じる力」が弱ってくると「祈り」の力が落ち、それに伴って「誓い」のレベルも下がってくるでしょう。人間の力でどうしようもないことには「全託」ということも必要ですが、祈って、誓ったなら、「出来る努力を積み重ねる」ということが重要です。結果が出れば信じるのではなく、「まず信じる」という生き方を取り戻す必要があるのではないでしょうか。