私たちは日本人としての文化を持っています。それは何千年も前から生きた人々が、暮らしの中で培ってきた心の文化だとも言えます。自然に信仰し、自然に食べ、自然に生き、自然に家族を持ちました。そうやって、長い年月をかけて身に着けてきた知恵や仕組みこそが文化になったのです。
現代では、神様を拝もうとするとすぐに宗教だといわれます。神様=宗教としてそれぞれに宗教の違いを信仰よりも先に語られます。しかし本当にそうでしょうか。
確かに宗教は個人の自由であり、税金もかからないから特別な組織とみなされます。しかし本来、宗教が始まる前はみんな自然に信仰を持っていたはずです。それはアマゾンの奥地やインディアン、各地の少数民族に至るまで何かしらの信仰心をもって自然や先祖を崇拝していますがそれを現地では宗教とは言いません。
つまり本来、すべてのものは文化からはじまっているのでありそれを分類したものが宗教などになっていったともいえるように思います。異なる文化を認めるというのは、それぞれの育ってきた歴史を肯定し認め合うということです。
そしてその文化をつなぐものこそが「暮らし」であり、その暮らしを丁寧に紡いできたからこそ日本人としての本来の役割や個性も世界で発揮できるようになるのです。
人類がそれぞれで移動して分かれてどのように地球に適応してきたかというのは、偉大な叡智であり智慧そのものです。気候変動の中で、また人類の社会を創っていく中で、どのようにその場所で調和させようとしたか。
実際に実験を人生を懸けて行ってくれてきた先祖たちの生き方が、私たちの水面下の意識で文化として醸成され、今に引き継がれ、この先を見守るのです。
今度、私は神社を建立しますがこれは決して宗教として取り組もうとしているのではありません。私はあくまで「文化」としての道を、日本人の古来からの生き方を暮らしを通して甦生させていこうとしているのです。
まさにそれが子どもたちに日本人の心を育て日本人の誇りを思い出すことにもつながると信じるからです。私自身も、日々に手を合わせ、内省し、自然の循環と共に人も一緒に八百万の神々と共に暮らしていくことに仕合せを感じています。日本人の生き方を学ぶためには、古民家も必要ですし、暮らしも必要ですし、暮らしには行事もあるし、神社も必要です。
心を甦生していくのは、日本人の暮らしの甦生からです。
2月4日、立春の日に出現する神社と共に日本人文化甦生に歩んでいきたいと思います。
コメント
「信仰」とは、本来、純粋なものです。後付けされたものではなく、いのちとともに存在するものでしょう。そういう意味では、「御利益」の要求ではなく、生きる上での「祈り」であり、生き方を正すための「基準」でもあるでしょう。「特別扱いする」前に、自分の生き方の真摯さの方をチェックしておきたいと思います。