昨日は、分霊する八意思兼神をお迎えにいくために埼玉県の秩父神社でご祈祷を行いました。この神様の子孫である知々夫国造が武蔵国西部(秩父神社を中心とする秩父・児玉地域)の氏神様になりました。
改めて祝詞を奏上し、神様の分け御霊を御幣に降臨していく姿に立ち会うと分けていただいた存在をさらに大切に集めて増やして活かしていきたいと思う気持ちになりました。
神様の話になるとどうしても宗教のように聞こえますが、あくまで私の神様は日本文化としての道の一つです。その道は、極端かもしれませんが漬物を育てていくのと同様で実践がセットであると信じています。
例えば、漬物の菌も樽に移しその樽を大切に使いながら漬物を育てていきます。その樽に菌を分けてもらい定着してもらえば、あとはその樽が腐らないように傷まないように手入れをしながら漬物を漬け続けます。その漬物や樽が使えなくなるのは、手入れを怠り、塩加減や水加減を間違い、放置すれば廃棄しなければならなくなります。
ちゃんとその漬物の樽を活かし、菌に活躍し続けてもらうにはずっと大切に一年の自然の四季のめぐりに沿った暮らしをしながら自分もその自然の一員にしていただくように取り組んでいくのです。
私にとっては、神様は菌と同じです。そしてお社は樽と同じです。こういうと不謹慎だといわれるかもしれませんが、自然を神様として観れば何も違うことはありません。
本来の自然(神様)のハタラキをそのままに、最大限活かすには自分自身が自然(神様)が喜んでくれるような生き方をしていかなければなりません。私は、自然農をはじめ、日本の暮らしを甦生していますから特段、何か特別なことを増やすわけではありません。
今の暮らしの中に入っていただき、より活躍する場を醸成していくだけなのです。これから新しいパートナーが増え、新たに暮らしが充実していきます。秩父神社とのご縁に心から感謝しています。
コメント
認識には「在る」ことに価値を置くときと、「働いている」ことに価値を置くときがありますが、これらは本来ひとつのものです。すなわち「在ることは働いていること」であり、働いていなければ在ることにはなりません。大事なのは、その本来の「働き」を、人間都合で邪魔しないことです。「どこにどんな思いが働いているか?!」を見失わないようにしたいものです。