人間の心には様々なことが日々に浮かび上がってくるものです。何もしていなくても、心は活動していて私たちが呼吸するように心も生きています。
その心に浮かんでくる様々な想念を如何に味わい盡し、如何に磨くかはそれぞれの日々に生き方次第です。生きていれば様々なご縁に導かれますから、その一つ一つの意味を確かめながら歩んでいきます。
そうやって心を高めながら同時に生まれる様々な感情を浄化していき、心を磨いていきます。それが人生の醍醐味であり、天命を生きるということでしょう。
天命を生きるとき、私たちはどの視座で物事を観ているかというものがあります。世の中の常識に合わせて語るときと、悠久の時空を超えて語るときがあります。常識ではわからないようなことも、視座を高めれば自然に観えてくる境地があります。
天命が分かれば使命に気づき、その使命に生きれば心の純度も洗い清められ視座もまた高まります。何のために生きるのか、何のためにそれをやるのか。その初心にどれだけ透徹するほどに心に思いを刻んでいるか、それが日々の修養の糧になっていくのです。
生きていくというのは、成長することであり、真の成長は心を磨くことです。
様々な課題を日々にいただきそれと正対しては今に集中して心に浮かぶ様々なことを一つ一つ丁寧に磨いてご縁を紡いでいきます。ご縁こそ、磨くための砥石であり、その磨き合いが続いていけばさざ波の中で出会う美しい砂浜の貝ように魂も輝きだします。
子どもたちのためにも日々に心の呼吸を丁寧に整え、視座を磨いていきたいと思います。
コメント
人の心の高さは、「うまくいかないとき」「思うように展開しないとき」に試されます。そこで少しでも言い訳したくなると、急に「常識」や「現実」というものが押し寄せて来て、一気に引き下げられてしまいます。結局は、「保身」との闘いのようです。「恥心、畏心、勇心」を発奮させる努力を重ねたいと思います。