人は自分との対話の時間や、心を整い落ち着くために安心できる環境や場を求めていくものです。自分の安心できる場があるというのは、心の拠り所でもあります。心が安らぎ落ち着く中ではじめて人間は心の動きに合わせてゆったりと自分自身を取り戻すことができるようにも思います。
つまり心の安心の場を持つことで人はまた前に進む活力を得ていくように思うのです。
現代のような競争社会で歪んだ個人主義が蔓延すると、どうしても不安や恐怖にさられていきます。そういう不安や恐怖を乗り越えて恢復したり心の活力を取り戻し、エネルギーを補給したり癒したりするところが安心の場になります。
子どもたちにとっては安心基地は両親であったり、私の場合もお地蔵様やお守り、また犬だったりもしました。大人になっても形を変えて私たちはどこかに拠り所をもって安心する場を創造していきます。
資本主義経済で経済戦争が日々に行われているストレスの多い今だからこそ、そういう安心の場を提供するということが必要になってきているように思います。その安心の場が新しい時代の心の教育に重要な役割を果たすようにも思います。
心の教育があるからこそ、人々は心を見失わずに人間らしい本質的な知性や人格、徳を磨いていくことができます。新しく開く場のカフェは、子どもたちだけではなく子ども心を持つ人たちの安心基地にしていきたいと思います。
さらに深めてみたいと思います。
コメント
「不安」や「恐れ」の中では、人は本来の力を発揮することができません。それが「不信」につながれば、素直な心さえ見失ってしまうでしょう。「安心できるところ」というのは、「警戒しなくていい」ところです。「構えなくていい」ところです。「何かを求められてがんばる世界」ではなく、「魂が解放されてあるがままで自ずと徳が明らかになる」そんな異次元世界に時々戻れるといいのですが。