場の道場は、場を使いますから様々な場づくりを通して場を磨いていきます。この場が磨かれていけば、世間ではパワースポットだと呼ばれたりしています。そのまま場がただすごいと感覚でわかっても、それを説明できれなければスピリチュアル的とか、宗教だとか言われます。
現代は、ちょうど量子力学という学問が出てきます。これは原子よりもさらに小さいものを捉えていく研究です。素粒子やニュートリノといった宇宙の本来の姿、宇宙がどのように存在するかということを突き止めていく学問でもあります。
ここに「場の量子論」というものがあります。
ウィキペディアにはこう解説されています。「場の量子論(ばのりょうしろん、英:Quantum Field Theory)は、量子化された場(素粒子物理ではこれが素粒子そのものに対応する)の性質を扱う理論である。 量子論の中でも、位置や運動量などの古典力学由来の物理量と、スピンなどの量子論特有の物理量を、基本変数とする量子論を量子力学と呼ぶ。一方、基本変数として「場とその時間微分または共役運動量」を用いる量子論を場の量子論と呼ぶ。量子力学は、場の量子論を低エネルギー状態に限った時の近似形として得られる。現代では、古典的に場であったもの(電磁場など)だけでなく、古典的に粒子とみなされてきた物理系(電子など)の量子論も、場を基本変数にしたほうが良いことがわかっている」
そもそも素粒子をはじめ量子は空間の中に存在して絶えず活動する波長、波動のようなものです。その波のある空間を一つの「場」と見立てて、場の中にそれらが活動する舞台が存在すると定義しています。そしてこの「場」という空間を如何に高め磨くかということが私の「場の道場」の実践内容となります。場の中にある振動数を如何に磨くか、これは目には観えない波長をどれだけ研ぎ澄ませて自然と調和させられるかということに尽きます。これらの科学は、環境の科学ですが私はそれを風土ともいい、徳とも呼びます。
これらの粒子の波は、波動というものの振動数によって表現されます。無限に振動するその波長がどのような波長を放つか、その振動の波長こそ場の価値が出てきます。低周波というような、穏やかで和やかな振動数であれば場は落ち着き心は癒されます。またその逆の波長であれば心はざわつき、傲慢になっていきます。
私たちは一人一人その肉体や精神というものの中にそれぞれの「波動」と「波長」を持ち、それを積み重ねて人生を遂げていきます。しかしその人生の舞台の上には確実な「場」というものが存在し、その場を整わせていく中でまた記憶されていく宇宙の媒体に影響を及ぼし合っていくことになるのです。
もっとも深い私たちの存在には、この量子力学が関係しており科学はいよいよこの目に見えない波長や波動というものを捉える「場」という存在にまで近づいてきました。
私は直観型の感覚を澄ますのが好きですから、よりこの波動や波長を感じやすいタイプですしそれを「場」に定着させていくのが得意なタイプなようにも思います。
これからの時代、不確定さが増えてきたのは目に見えないものが主役になっていく転換期に入ってきたからです。だからこそ、私の取り組む「場」はこれから主役であり世の中を転換するための主人公となっていきます。
最後に、「日本の原子物理学の父」と呼ばれる仁科芳雄博士の言葉です。
「環境が人を創り人が環境をつくる」
場を醸成し、新しい時代の幕開けをここから拓いていきたいと思います。
コメント
人によって「好きな音楽」が違ったりしますが、それは、「自分にとっての心地よい波動」を現わしているのかもしれません。これは「色」や「その組み合わせ」でも言えるでしょう。「人と環境」のように「人が場をつくり、場が人をつくる」となると、「自分に合った場を探す」と同時に「場によって自分が磨かれ、乱れた波長が整う」ということもあるでしょう。それらの波長が音に換わったとき、地球自体がどんなシンフォニーを奏でるのか、地球はどんな色彩の星になるのか?!本来の姿と人間の生み出す芸術とを見比べてみたいものです。