先日、聴福庵ではじめて雛人形を飾りお祀りすることができました。今回の雛人形は大阪の藤井寺の数寄道の師、佐藤禎三さんが個人でボランティアで雛人形を飾りお祀りしていたものをお借りしたものです。
佐藤禎三さんは茶道、華道、書画、詩吟、陶芸、料理、骨董に精通する希代の数奇者で有名な方です。最初にお会いした時に、守破離のお話をお聴きし、伝統を守る心と、遊び心、つまり本物の風流とは何かということの意味を学ばせていただきました。
また物を大切にすること、勿体ないということの意味、その物をどうすれば大切に飾り祀れるかということの要諦も生き方から学ばせていただいています。
佐藤禎三さんの雛人形の配置は、まさに和合しておりどのものも適切な場所に、そして全体最適な場所に配慮されておりそれぞれが主人公としてイキイキとしています。またお庭の剪定もご自分でされ、数々の旬の花々のしつらえにはうっとりします。流し雛を拝見したときは、遊び心やその物語や歴史の背景からの創造性には私の子どもの心もくすぶられました。まさに、見立てることと遊び心が調和した美事な空間を演出しておられました。
まさに風流を好む人は、これだけの数寄を総合芸術のように演出するのかと感動することばかりでした。一つの道を究めることは、多くの道を究めることでもあります。そしてその道は、すべてに通じていて和合するのでしょう。
今回、雛人形をお借りしてみて如何に配置することや組み合わせること、仕舞うことの意味などを改めて学び直しています。
引き続き、雛人形のご縁から風雅風流の意味を深めていきたいと思います。
コメント
「部分最適を合わせても全体最適にはならない」といいます。すなわち、部分的にいくら優れていても、「全体のバランス」を崩すようではいけないということでしょう。世の中を「総合芸術」であるとするなら、個々の我が儘勝手は、その世界を乱すことになります。元々備わっている「違和感」を頼りに「バランス力」を磨き、大きな流れの中で素直に変化し続けたいと思います。