人類は助け合うことで、様々な困難を乗り越えてきました。それは遺伝子にインプットされ、助け合うことで人は仕合せを感じるようにできています。仕事の原点もまた、その助け合いの場として発展してきました。
現代は、仕事は成果主義や評価が入ってきて助け合いをするためにというよりも業務遂行能力の方が優先されていきました。そのうち役割分担から業務分担になり、余計に人間関係やコミュニケ―ションが薄れていきました。そのことから仕事も次第に楽しい要素が失われていき、何のために働くのかという原点が議論されることもなくなってきました。
以前、日本理化学工業の会長から働く仕合せのことをお聴きしたことがあります。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証なのです」
働くのは、本当の仕合せを求める人間の証であるという言葉。とてもしっくりきます。この働く場には、「助け合い」という人間がもっとも愛を感じるものが存在するからです。
仕事で成果を出すためだけに人は働くのではない、助け合うことで愛を感じ、生きる仕合せ、一緒に取り組む喜び、そして誰かのお役に立てることのつながりが深く味わえるのです。
働くことは単に仕事をすることではなく、働くことは人間としての仕合せのために働くのです。とすれば、会社は何をする場かということです。それは仕合せの場であるという認識に切り替えなければなりません。
仕合せの場とは、その人間一人一人が助け合える喜びを感じ味わえるようにしていく場であるのは自明の理です。
同じ仕事であっても、働くであっても、そのもとになっている理念や考え方が異なればその結果としてその言葉の定義も異なります。仕事は助けてもらわないとできないからこそ、助け合いが生まれやすいのです。
子どもたちが豊かで幸福な人生を味わうためにも、仕合せの場を広げていきたいと思います。
コメント
松下幸之助さんは「人間は働きたいのだ、働くように出来ている」。だから「働くことを邪魔しないこと、それがいちばん人の使い方がうまい」と仰っていました。この「働きたい」という動機を「仕事」という仕組みにしたのは大きな智慧でしょう。しかし、いまは、何かを得るために仕事をし、その過程で我慢し苦しんでいる人が多いようです。目的のために働いて苦しむのではなく、動機で働けば幸せが得られるという働き方を探求したいものです。