24日は友人の故高橋剛さんの命日になります。あれから2年、時が経つのは早く現状のことを省みると色々なことがあったことを思い出します。人は私を含め、いついかなる時にこの世を去るかわかりませんがその時を待ち、今は故人の分まで一日一日を大切に生きたいと思うばかりです。
現在、場の道場を開校し、神社を建立し、サウナを建築し、この後は徳積カフェをつくり日本創生に挑戦します。その最中、剛さんのお父さんと一緒にはじめて石碑を手彫りしたり、世界初の炭サウナの耐熱施工をチャレンジしたりと色々と豊かな体験をさせていただいています。他にも生前の故人のご縁の深い方々にお会いして引き続き協力しあっていくことも増えてきました。
きっともし今も彼が生きていたら、彼がやりたかっただろうなということを私が代わりにやりながら感じます。それはお父さんと一緒にDIYをすることも、そして自分の創業した会社のみんなと新しく面白い働き方をすることも、また親友を助け仲間を増やし時代を駆け抜けるような青春もやりたかったのではないかと感じます。
私が今、やっていることは不思議なことですが生前の友人がもし生きていたらきっとやっていたことばかりではないかと感じるのです。
そう考えてみると、故人の分まで生きるというのはその故人が実現したかった夢を受け継ぎ、それを私が代わりに(一緒に)体験してあげるということが遺った人ができることなのかもしれません。
一緒に生きていくというのは、一緒にその人の代わりに体験を味わっていくということです。つまり、死に分かれてもなお一緒に過ごしているという実感こそが先にあの世に往った人たちへの供養になるように私は思います。
これからも彼と一緒に、新しい伝説を創造していきます。
「場(BA)」に宿る魂と共に、子どもたちの未来を切り拓いていきたいと思います。
コメント
明治維新のときも、志半ばで倒れた仲間の思いを受け継ぎながら新しい世を創生していきました。自然災害等の復興も、残された人たちが仲間の思いを継いでいます。同じように、私たちもそれぞれに、縁ある先人や仲間の夢や願い、そして希望を引き継いでいるのでしょう。自分のいのちや個人的な評価などに振り回されずに、日本創生を目指す志の大河の一滴でありたいと思います。