むかしの暮らしの中では保存食は当たり前に身近に存在しているものです。例えば、梅干しをはじめ味噌、乾物、鰹節にぬか漬けなどの漬物。日々の食生活の中では特別なメニューがなくても、その少しのおかずで楽しめ味わえます。
シンプルな食事は、飽きがこず、いつ食べてもお腹が空いていれば美味しく食べられます。現代は、一日3食を時間通りに様々な組み合わせで食べていますがそのうち保存食が失われていきますがそのことで本来の深い滋味や質素の味が分からなくなってきています。
今回、コロナウイルスで自粛ということもあり食事をむかしの暮らしの保存食を楽しんでいます。すると、生活の知恵で培われた様々な知恵と出会い、先人たちが如何に食料がない中でも美味しいものを工夫してきたかということに頭が下がります。また同時にそれは仕方がなく食べていたのではなく、美味しかったから食べ続けてこれたということもわかります。
現在、ご飯は玄米を炭火で鉄釜で炊いていますが毎回ご飯が美味しく感じます。というより、ご飯が主役でありご飯のためにおかずがあればいいのです。ご飯が美味しいからご飯をより美味しくするおかずを選ぶという具合です。
最高の組み合わせは、おかずを少し噛む程度で味が出てその味と一緒にご飯を口の中に頬張るとなんともいえない仕合せが訪れる組み合わせです。
色々な食べ方がありますが、ご飯をたくさん食べることができるものが最高の食事のように感じています。
こんな時だからこそ、暮らしを見直し、本来の原点に回帰して先人たちの知恵を借りれるように生き方や働き方を暮らしフルネスで見直していきたいと思います。
コメント
食べ物は、時間ともに傷み腐っていきますから、それを「保存する」というのは、人間の大きな智慧でしょう。たくさん採れ(獲れ)たものを食べ切ってしまわず「無いときに備える」のは、譲る智慧でもあります。しかし、「旬のもの」を美味しいからといって冷凍保存し、いつでも食べたいときに食べるとなると、旬の意味を無視した単なる「欲」にすり替わってしまいます。保存食の多くは、栄養の面からも、また薬としても生かされてきたものです。「欲」の保存と「智慧」の保存を見極めて、見直したいと思います。