最近、あることからモビリティのことを深めている中でふと乗り物の歴史について学び直す機会がありました。私たちの現代においては、自転車や車は当たり前で飛行機も新幹線も当然身近にあるものです。しかし150年前まではそのどれもが存在しておらず、私たちの乗り物は大きな変化を遂げていきました。
現代では車社会も一つの終焉を迎えており、移動手段が激変していく時代を迎えています。乗り物としての存在と、そもそも乗り物を使って何をしたかったのかという人類の目的の狭間で新しいものが創造されていくのは時間の問題です。
改めて少し移動手段の歴史を整理してみると、そもそも紀元前1万年以上前は足で歩いていました。そこから筏や丸太がではじめ丸木舟は紀元前7千年くらいに出てきたといいます。そして紀元前5千年にはソリが生まれ、紀元前三千五百年頃には車輪付きの車が誕生しました。これをロバなどが引いていたといいます。そして紀元前三千年頃には、乗馬や帆走船がでてきて交易船によって栄えていきました。そのあとも、少しずつ改良され様々な自然物を活かした乗り物が利用されていきました。
急激に現代のように科学の乗り物が進化したのは蒸気による動力の発明からだといわれます。この発明から、より多くの荷物、スピード、そして遠くまでいけるようになりました。
産業革命はその後、様々な科学技術の進歩と共にあらゆるものが発明されていきました。1769年には、蒸気で走る三輪自動車が発明され、1783年には蒸気船、1802年には蒸気機関車、1886年にはついにガソリンを使った車が誕生しました。1903年には飛行機という具合です。ここから100年はさらに進化し、原子力潜水艦、人口衛星、宇宙ロケット、新幹線、リニア、ジェット機、電気自動車、水素自動車、他にもこの数年で様々なエネルギーを活用した乗り物が誕生しています。
私たちは、乗り物を使い科学を発展させていきました。言い換えれば科学の発展と乗り物は常に一体に進歩してきたとも言えます。しかしそのことから、環境汚染が広がり、人間の生活速度が変わり、世界中に資本主義経済が発展する動機となりました。
物流は日々に便利になり、今日ウェブ上で注文したものがその日のうちに届く具合です。さらに仮想空間ができたことで、体は移動しなくてもVR等により意識が移動できます。他にも、AIやIOTが進みそもそも移動する必要がない状態が生まれています。
人類の乗り物は、単なる移動手段ではないことは歴史を学べば明確です。
だからこそ、本来、モビリティの本質は何かを人類は問われているように私は思います。ゆったりとスローに移動するということは、ひょっとしたら今の人たちからしたら変人の戯言のように思われるかもしれません。
しかし、私の提案する暮らしフルネスは敢えてそれを先進技術で補う仕組みを取り入れています。時代が変わりますが、人類の目的や人生の意味は普遍的です。
子どもたちが安心して地球に豊かに住み続けられるように、新しい取り組みを発信していきたいと思います。
コメント
人の移動、物の移動、情報の移動、お金の移動が早くできるようになるにしたがって、仕事はどんどん忙しくなってきています。自然では、四季の移り変わりも、一日の太陽の動きも、そのスピードは変わっていないのに、人間の世界だけが「早回しをしている」ようにせわしなく動いています。いつの間にか「暮らし」を見失ったのも、「仕事時間」と「暮らし時間」のスピードが合わなくなってきたからなのではないでしょうか。「競争の時間」や「欲望の時間」ではなく「心が求める穏やかな流れ方をする時間」を取り戻す必要があるのかもしれません。