生の全う

人はいつの日か誰にも必ず死を迎えます。死は決して生の終わりではなく、生の中に死は存在するからです。その死にも、肉体的な死もあれば、精神的な死もあり、また魂の死というものもあります。

つまりは生のために死は一時的に発生するもので、その死を乗り越えて新たな生が誕生し続けるという甦生の一部であるのです。この甦生とは、「更に生きる生」と書きますが、まさに私たちは永遠の生の中に存在し、その生をより善く生きるために死というものを活かすのです。

私は、人生の目的にこの「甦生」というものを掲げています。ありとあらゆるものを甦生させる力、そして穢れを祓い清め浄化していく力、それらを活用して新しい生を更に前へと進めていきます。

そもそも循環や寿命というものは、すべては生き方の在り方に通じているものです。どのように生きて、どのように更に生きるか、私たちは日々に死を体験しながら新たな生を誕生させているとも言えます。

人生というものは、死の前進によって生がより輝くのであり、私たちは進んで死を受け容れることによってより善い人生へと舵を切り続けることができるのです。

それは時々として愛するものの死であり、場というものの死であり、意識というものの死でもあります。どれも当たり前ではなかった現実と直面し、その時々に死を受け容れながら新たな生を歩むのです。

生にはマンネリはなく、死に続けることで常に赤子のように新鮮な姿を私たちに見せてくれます。私たちは死に学び、はじめて本当の生の意味を知ります。人間の心身がもしもこの時代に試されることがあるのなら、どれだけ死の直前まで素直に運命に従うことができるか、選ばずに受け入れることができるかが生の全うになると私は思います。

子どもたちを信じて、生を全うしていきたいと思います。

  1. コメント

    「死ぬまで生きる」という言葉があります。一見、当たり前のようですが、実際には、「消化試合」のように「生を諦めて」いたり、「暇つぶし」のように「いのちを生き切っていない」ケースが多いようです。『人生の五計』の中に「老計」や「死計」がありますが、ただ歳をとったり、死んでいくだけであるなら、「生を全うした」ことにはならないでしょう。与えていただいたいのちに報いることができるよう生き切りたいものです。

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