いのちの場

引き続き、メビウスガーデン(無双庭園)を造園していますが改めて流転や円転、回転や輪廻などのチカラについて深めています。

そもそも遠くには銀河、そして身近にも台風など私たちは回転するものの中で存在しています。地球は自転をしていますし、すべてのいのちは生死を繰り返し、無機物から有機物へそしてまた無機物へと永遠に無限に生死流転する存在でもあります。その中で私たちは多様性を獲得し、そしてまた統合されていくのです。

相反するものを一つにする力、これがいのちの根源的なものです。まるで異なるもの同士が合わさるときのエネルギーとして、そこに回転のチカラ(スパイラルエネルギー)のようなものが創出されます。

私たちが感じている、回転のチカラとはその相反するものが競い合い相反し、同時に統合して調和するときそれを直観することができるように私は思います。

現代は、なんでも分けて考えるような思考回路になっています。言葉ができ、論理を産み、科学的に分析する知識を伸ばしてきましたがもう一つの直観的に理屈を超えた存在に対しての智慧が衰えていきました。

この本来、相反するものを受け容れる力。そして和してそれを更に活かす力。その時、私たちは自然の道理と人間の叡智を使い、一円融和することができます。その観念のことを私は、一円観と呼び、それをあらゆる場づくりに使っているのです。

今回のメビウスガーデン(無双庭園)もまた、この一円観を用いて場づくりをした一つの創造物でもあります。銀河と地球の自転の仕組みを取り入れ、万物の生命がその中で無限に円転する。それを土と石、水と火、植物と炭、日と影、風と雨、人工と自然、高と底、厚と薄、発酵と腐敗、昼と夜、あらゆる相反するものを組み合わせ一円融合させたものです。

文章で書くとやっぱり理屈っぽくなりますから、実際にはそこで創造されたものを食べるとき、自身の心身でそのいのちのチカラを感じることができるように思います。

食の本質は、いのちの螺旋のチカラを味わうことであり私たちのいのちの無限のエネルギーを覚醒させそのいのちのハタラキに気づくことです。私たちは活かされている存在であり、その活かされることを知るとき、宇宙万物に膨大ないのちの存在があり、それが自分の深部から滾々と湧いて流転することを知りいのちと一体になれるように思います。

いのちの本質を子どもたちに伝承するためにも、徳と場の一つとして可視化した一つの表現方法としてこのメビウスガーデン(無双庭園)を活用していこうと思います。

  1. コメント

    二宮尊徳翁は、「天道」と「人道」の関わり方を「水車のたとえ」で示されました。それは、「現実」と「自分」との関わり方でもありますが、大事なのは「しっかり関わってひとつになることです。水車は、流れに触れなければ回転しません。かと言って浸かり過ぎてしまうとまた回転しません。「お互いがうまく関わり合うことによって融合し和して一円となり、回転することで初めて生かし合うことができる」この真理を生かすための智慧と勇気をもっともっと磨く必要があると感じています。

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