徳積伝承

私たちは今の時代を生きていますが、今の時代があるのは先人たちの徳に因るものです。先人の徳を活用することができるのは、今を生きている私たちがその証拠の中で存在するからです。

例えば、発明品の徳であれば私たちが電気が使えるのも、ITがあるのも、衣食住が整っているのもまた先人たちの苦労の観察や発見の上に生み出されたものです。それを当たり前に使っていますが、これは先人の徳が譲られ私たちが活用して生きています。

もしも電気がなくなれば、ITがなくなればどうなるでしょうか。その有難味に気づいたときに私たちは徳を感じます。当たり前ではない存在こそが徳の本体ですから、私たちは感謝を磨くことによってその感性が鈍らないようにしてきたのです。それが文化であり、文明を支えた養分であるのは間違いありません。

そしてこの徳は、当たり前すぎるから気づかれないものです。なぜ徳が観えなくなってきたのか、それは便利で人間にとって快適になりすぎてきたからです。便利に快適になればなるほどに徳は観えなくなっていきます。

逆に、不便で不快であればあるほどに実はそこに徳の存在が働いていたことに気づくのです。私が取り組んでいる、古民家での暮らしや自然農、その他、炭、伝統食、それらは徳を感じるための一つの仕組みです。その上で、ブロックチェーンやサウナを活用するのは、それを具体的な思想や哲学で料理したものを体験させて可視化するためです。

先ほどの文明の養分である文化が失われていくと人類はどうなるか。陰の功労者や縁の下の力持ちの価値がわからなくなれば、人間社會はどうなっていくか。少し考えただけでも破滅に向かうことが容易に想像できます。

みんな目立ちたがるようになり、承認欲求ばかりを求め、派手で裕福な富ばかりを求めていきますがそのものを支えている存在は一体どういったものかを考え直す必要があります。

先日、テレワークをして気づいたとある社員が言っていましたが多くの方々に支えられて在宅ができるという事実。これはその方々の徳をいただいて、暮らしを営んでいけているという証拠でもあります。

徳はとても身近にあるもので、当たり前すぎるから観えないだけで常に暮らしの根本を支えるものなのです。

私が徳にこだわるのもまた、徳が子どもたちに譲られることを知っているからでありその徳を使い切るのではなくそれを積み重ねていくことに偉大な意味を感じているからです。見返りのないもの、与え続けるだけのもの、そういう存在こそ見守る存在であり、私がもっとも目指す生き方です。

一期一会の日々を味わい、子どもたちに徳積を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    「失くして初めて気づく有難さ」というものがあります。特に今回は、「当たり前」と思っていた日々の生活の中にそれを気づいた人も多いようです。そう思うと、今までの生き方がいかに「傲慢」であったかということに気づきます。「与えられているもの」より「不足」ばかりを見て文句を言うという生き方は大いに反省すべきところでしょう。「不満不足を解消するためにがんばる」のではなく、「既に与えられている無限の徳に感謝しそれに報いるために自分のいのちを使う」生き方をしたいと思います。

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