昨日はBAの畑づくりをしましたが、敷き藁と支柱で懐かしい牧歌的な畑に仕上がってきました。モノづくりをするという環境からどのようなインスピレーションをいただくことができるか。私たちは、豊かな心でモノと接するには豊かな環境が必要になります。
それはなんでも効率優先で無視してきたゆとりや余裕の中にこそ非効率的な豊かさや暮らしの美しさがあるように思うのです。
一見、無駄だと思われて省かれる中に、そして不必要だといって捨てられる中にこそ心の余裕が入っています。この心の余裕とは一体何かということです。西洋ではこれを「スロー」ともいいます。このスローは、イタリアで起こったスローフード運動から派生したもので、効率や利便性を追求する現代人に、あらためて自分自身、また自分の生活を見直そうといった考え方であるといいます。
日本では田舎暮らしのことをスローライフとか言われますが、実際にはグローバル化された比較競争の資本主義経済の社会の中でも他人や社会に翻弄されないでゆっくりと自分自身の懐かしく美しい暮らしを実現させていくようなことを言うと思います。
コロナの御蔭で、世界は一度立ち止まることができました。その上で元に戻そうとする人、元には戻らないというする人に大きくわかります。つまり、元通りがよいという人、元よりももっと善い世の中にしていこうとする人ともいえます。
改めて行き過ぎた過剰な経済競争や欲優先の知性を少し手放し、子どもたちの未来のために自然との調和と人類の社会の平和のゆるやかなスローな暮らしの時代に向けて少しずつ変化していきたいと思います。
コメント
私はコロナ以前には戻らず、もっと一人一人が尊重される善き時代が訪れると確信しています。現実の世の中を生きていくためには世の中のルールや良識は必要ですし、周囲との協調も大事です。しかし、その結果が自然農法は廃れ、化学肥料や農薬の使用といった農業の常識を押し付けられてきました。これは、農業だけではありません。他人の心田にまで土足で踏み込んで、勝手に不要なものとそうでないものを押し付け人格を踏み荒らしてきした。他人が良かれと思っても人にはそれぞれの生命の分があります。常識というその時代の罠。もっと個人の自然性に即し、個々の人間性が開花する時代になってほしいいです。自然と人間は切り離せない存在なのですから。
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文明の進歩とともに「スピード」がどんどん早くなっています。そして、「効率」や「生産性」というモノサシで計られるようになって、「早いこと、速いこと」は善いことになってしまいました。その結果、じっくり味わうとか、ゆっくり楽しむとか、じっと待つということができなくなってしまいました。ただ、すべて遅い方がいいかというとそうでもありません。モノに応じた「スピードと時間」というものもあるでしょう。それぞれが最も生きるスピードを尊重し合いながら全体が調和するような、新しい時間感覚の暮らしを創りたいものです。