日本には古来より穢れを祓うという思想があります。この穢れは別の言い方では、気枯れともいいますが魂そのものが澱まないように手入れを行い続けて常に新鮮であり続けるための工夫です。
この思想は、世阿弥の初心を忘れるべからずのようにあらゆる先達の方々が実践の中に取り入れてきました。現代では、あまりこの穢れという言葉を見聞きすることもなくなってきましたが私たちは本来、水の性質を生きていますから水が清らかであり続けるように自分たちの根源的な本質を洗い磨き続ける必要があります。
「洗心」という言葉があります。
これも穢れを祓う禊から出てきた言葉です、読んで字の如く心を洗い続けることで魂を磨くということを示します。私たちは、生きていると色々なものがこびりついてきます。油汚れのようなものから、埃のようなものから、また或いはシミのようなものまで生活の中で様々な垢が出てきます。
それをそのままにしていたら、本来あった瑞々しい本体を維持していくことが難しくなり自分が一体何ものであったのかすら思い出すこともなくなっていきます。自然のままであったものを不自然にすればするほどに穢れは増えていきます。
この自然のままというのは、元素、エレメント、つまり原始的な火、水、月、土、風などのシンプルなものであればあるほどに「そのまま」です。それを加工すればするほどに不自然になるということです。
滾々とわき出てくるような元氣の根源は、常にこの原始的なものと触れているときに活性化するものです。私たちは元氣を失えば、気枯れをおこし、病気になります。心身を病んで精神を痛めてしまえば、まともな暮らしを営んでいくことができません。
古来の先人たちは、常にそのことを意識し穢れを日々に祓うことを大切にしてきました。私も日々の暮らしの中で、火や水、風、土、木をはじめ様々なものを活用してその穢れを祓い元氣を甦生させています。
元氣さを保つというのは、大自然の中に一人、一緒になって存在している感覚を保ち続けることです。現代は大きな刷り込みのシステムがあり、そんなことはいちいち考えないとは思いますが私たちは地球と一人であり、宇宙とも一人です。
地球人、宇宙人であるという意識に先人たちは生きたからこそ神話もあり、星々の運行を直観することもあったのです。非科学的なもの非現実的なものは、現在の常識では非常識な意見とも思われます。しかし実際に、内面の深くに入れば入るほど、潜在意識の奥底に沈めば沈むほどその価値が偉大であることに気づくものです。
私たちは暮らしの中に宗教があり、それを道と呼びました。これは暮らしこそ道であるという意味です。暮らしは文化ですから、文化を生きていれば次第に日本人らしくなっていくのです。日本文化の根源にこの「穢れを祓う」という思想があることに仕合せを感じます。
日本人らしい生き方を実践しながら、子どもたちに元氣の智慧を伝承していきたいと思います。
コメント
「掃除とは、元の状態を保つことである」という定義があります。また、仏弟子のシュリハンドクは「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら修行して悟りを得たといいます。日本人は、このような本来の高貴なる魂を保ち続けることを道として日々暮らしてきました。つい纏ってしまう欲の絡んだ執着や保身のための理屈、常識という洗脳など魂にとって不自然なものを、お風呂を禊の場として日々洗い流していきたいものです。