子ども達が穏やかに集まっている場所。
そんな観点で時々、客観的に子ども達を少し離れたところから眺めてみる。
情緒的な表現だがとても温かい静かな気持ちになれる。
子どもがいること、子どもが育つこと、子どもと育つこと、子どもと学ぶこと、子どもと生きること、子どもが在ること。
世の中にある全ての贅沢に匹敵する素晴らしい出会いと感動、邂逅の一瞬だ。
たくさんの子ども達が、生き生かされながら命を輝かせていく。
そんな贅沢を楽しめるという時代が来ているのだろ思う。
少子化は、ひょっとすると大きな気付きを私達に与えてくれているのかもしれない。
穏やかに見つめると何となくその子なりの「らしさ」が光っている。
その「らしさ」をもっと伸ばしてやりたいと思う。
りんごにはりんごの木の、みかんにはみかんの木の、「らしさ」は存在する。
りんごにはりんごの木の、みかんにはみかんの木の、見守りかたがある。
もちろん、移り変わりゆく世の中でも精一杯生きようとしている。
その姿をじっとみつめていると感動することがある。
雨にも打たれながら、風にも吹かれながら、虫にもくわれながら、微かな光であっても、「らしく」生きていく、そこに美しさと無常の平穏があるような気がする。
自然界には本当に色々な「らしさ」がある。
そんなたくさんの「らしさ」が重なり合い寄り添いながら生かしあっている。
そんな木々にニンゲンができることは本当に少ない。
「らしく」生きられるように、信じて見守ることしかない。
自然の中でどんな風に「らしく」生きたいのかを心から味わいわかってみたい。
そして、生まれてきたその「らしさ」に気づいてあげたい。
これからの時代に生きる子ども達にはらしさを大事にして生きていくことが、「気づいていく」上でとても重要になるような気がする。
世の流転の速度が、子ども達を惑わせないように変化を受け容れることから逃げないように「らしさ」を守っていきたいと願う。
コメント
子どもたちの素のままを大事にするためにも、まずは自分自身の素がどうであるのか
振返り、本当の自分らしさというものを見つめ直したいと思います。誰がどうと言う
のではなく、周りに合わせようとするのではなく、自分がどうしていきたいのかという
ことを思い、原点を見つめ直したいと思います。それが子どもにとっても自分にとって
よい道になるのではということを思いました。
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子どもたちを見ていると本当に輝きを放っているなと感じることが多く在ります。在りのままに自分らしさを思う存分に出し切るということは本当に素晴らしいことだと思います。しかし大人になるにつれて変な知識や見栄や刷り込みで自分らしさを出すことが間違いだと思い込んでしまう今のこの国の多くの環境にやはり憤りを感じます。子どもたちが大人の作られたらしさではなく、子どもたち自身の自然と出てくるらしさを出せる環境をしっかりと作っていかなければと改めて感じます。そのためにも先ずは自分が自分らしさを発揮できる自分で在らなければいけないのだと思います
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人はそれぞれその人らしさがあるのだと思いました。保育士をしている時、子どもたちが遊んで、泣いて、喧嘩して、あるがままの感情を表に出していることが生き生きとしているように見え、本当に「生きている」感じがした。
ある時、こま回しが出来なかった子が、沢山練習して、出来るようになった瞬間の子どもたちの喜びは今でも忘れずに覚えています。
その時感じたことは、あの喜びようは「生きている」という感じがあふれているような気がして、子どもは純粋で、あるがままに生きているのだと、感じました。
これが子どもらしさなのではないかと思う。
自分らしさというものはすでに自分の中にあるが、それに気付いていない。
この自分らしさに気付いて、そこをもっとのばしていきたいと思う。