魂の故郷

人間は自分のアイデンティティが確立されている人ほど、他人を尊重することができるように思います。自分自身の中にその文化の源泉が備わっていることに気づいた人は、自己を単なる個性の一つとしては捉えることがないからです。つまり自分というものの存在を深く知る、そこから文化は生まれてくると私は思うのです。

私は、世界の平和というものが何かと考えた時、それはお互いの文化を大切に尊重することではないかと感じています。人類が世界でつながり、それが交流するとき文化は色々な反応を観せてくれます。

例えば、江戸時代であれば鎖国中でしたが吉宗の改革のとき西洋の文化が流入してきて浮世絵がうまれそれがまた海外へと渡りさらなる芸術の発展が産まれました。つまりは、人類の魂が醸成され新たな高みへと進化したのです。

これはもっと前の時代であれば、中国の文化との交流などもあります。今の私たちの日本文化は、長い年月を経て様々なものとつながり合い今があります。

しかし今はどうでしょうか。果たして文化が尊重し合って存在しているでしょうか。文化は多様性が保証されていますが、これは自然の仕組みと同じです。自然が多様性を保障されていれば、文化もまた同様に調和していきます。しかしその自然を人間が不自然にコントロールして自然を人工物にしてしまえばそこに文化の持つ調和が減退していきます。

文化が減退し尊重されなくなれば、戦争がはじまり文化が破壊されていきます。戦争もまた人類の営みの一つかもしれませんが、これだけ世界がつながって一つになろうとするときだからこそ文化人の役割の大きさを感じます。

文化の別の姿を省みると、それはそれぞれの持つ魂の歴史であり自然風土の化身であり、遺伝子が持つ記憶です。お互いに大切な役割やお役目がありますから、それをお互いに全うさせていこうとする。その寛容で見守る社會が、文化の醸成を促していくようにも思います。

まさに人類の魂を磨き育て養うことが文化事業ということでしょう。

私の取り組みもまた、文化事業であると信じています。子どもたちが安心してこれからも末永く文化的な豊かな暮らしを味わっていけるように魂の故郷のような懐かしい世の中を増やしていきたいと思います。

  1. コメント

    「地を離れて人なく、人を離れて事なし」といいます。その土地土地の風土が、暮らしの考え方をつくり大切にするものを決めていくのでしょう。そういう意味では、「文化の交流」というのは、新世界との出逢いでもあるでしょう。文明的なものの高低や優劣ではなく、相手が大切に育ててきたものを尊重し合う中にこそ、ほんとうの交流は生まれます。地域の文化、日本の文化、地球の文化等、いろんな次元で自分のいのちのつくられ方を振り返ってみたいと思います。

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