コロナの関係で今年の3月の初旬から郷里の福岡で過ごして今週ようやく東京に戻ってきました。急に東京都の自粛要請があり動くことができなくなったので、マンションには戻れず植物たちがどうなっているのかずっと気になっていました。
戻ってくると、部屋の観葉植物はもともと元氣がなかったのですがやっぱり枯れてしまいました。しかしベランダの植物たちはみんな元氣で青々としています。ビオトープも以前と同様にしっかりと定着しており生命力を感じました。
水やりを定期的にしていましたから、ひょっとしたら枯れてしまうのではないかと思っていたのですがベランダの植物たちは大自然と空を通してつながっており充分に生きていく力が備わっていました。
そう考えると、すべての生き物は外を通して自然と結びあっていて自然の循環の中に入り共生しています。都会にいてもこの自然とのつながりを感じられることは有難く、ベランダを眺めるたびに自然の恩恵の偉大さを感じ直すばかりです。
その中の植物の一つに、楠があります。この楠は、ある巨樹の実生を持ち帰ったものでもう6年目に入るものです。現在は、120センチくらいまで伸びていますが不思議なことが起きていました。
今までの樹木の幹や枝が、水分が足りなかったことにより枯れておりその隣から同じ高さの樹が立ち上がっていたのです。つまりは、一度枯れてその隣から新しい樹木を再生させたのです。
今までの環境に適応してきた樹木ではなく、これから環境に適応する樹木として甦生する。今までは私が水やりをすることで、それに応じた樹木でしたが水やりができなくなることでそれに応じた樹木となったのです。
不思議と枝や葉のつきかたがバランスもよくなり、瑞々しい輪郭を描いて成長しています。
人の手が入ることと、人の手が入らないこと。
この二つの関係性の間には、とても大きな差異があります。人によって活かされる生きものと、人によらずに活かされるもの。人工と野生といってもいいかもしれませんが、私たちは人工というものを手に入れることによって発展もしましたが弱体化もしてきました。そして野生を取り戻すことで環境に適応して生命力を磨き上げていきました。
これらの間には、自然との深いつながり方やかかわり方があり、そしてそれを調和する暮らし方というものがあります。私は暮らしフルネスを実践するものですから、この辺のことは小さな差異の話であっても偉大な差異の話しになります。
如何にいのちを高めていくかというとき、私たちは自分の中に自然とのつながりをより強く厚く逞しく結ぶ必要があります。この世で生き残るためには、生命力を漲らせていく必要があります。
子どもたちがこれからの不確実な世の中で、いのちを一人一人が輝かせることができるようにその環境や場をつくり整えていきたいと思います。
コメント
マンション等と違って「日本家屋」は、戸締りをしても風が通ります。風は湿度と温度を調整してくれますが、それは繋がっているからできることなのでしょう。私たちは「繋がる」と考えがちですが、ほんとうは「最初からすべて繋がっている」のでしょう。共生とは、この繋がりを切らない智慧ある生き方を言うのかもしれません。