人は様々なご縁を辿っていく力が備わっているように思います。特に私は、ご縁に導かれていることに任せて物事を判断していくタイプですから、どのようなご縁がつながっているのかをいつも感じています。
その中で培われた力の一つに探索力というものがあります。
ご縁を探し出していく力のことです。これは、簡単に言えば「つながりを辿る力」のことです。先ほどのご縁を辿るというものと、つながりを辿るだと言葉が異なるだけに感じられるかもしれません。
しかし私にとっては、少し分かれたニュアンスがあります。ご縁の方は、自然に任せていく力、そしてつながりの方は、共通するものを発見する力という具合です。
前者の自然に任せるというのは、自然の流れに従いながらそれを邪魔しないということです。別の言い方だと素直になることです。松下幸之助さんのいう素直道に似ています。これがご縁を辿る力を磨くことになります。
そして後者のつながりは、同じ真理を持っているものを辿るということです。それは文化であったり、生き方であったり、悟りであったりとそれが共通しているものを持ているものをつなげていくということです。これは、どの道に入っても究めたらすべて同じであるということに似ています。一道を究めてみれば、何かもっとも至高のものかが自明します。そして何が一流で何が本物か、そして洗練されたものがどのようなものか、その物語やプロセスを嗅ぎ取る力がついてきます。
つまりこれが冒頭に書いた「探求力」というものです。
探求力は、物語の中に潜んでいます。そしてその物語を面白がって探して辿っていくと、様々な出会いが生まれます。その出会いを総合的につなげるとき、新たな発明が起きるのです。
こうやって探求力を磨いていくことで、ご縁もつながりも高めていきます。
私たちの人生は、仏教道具の羅網のように無数に混然一体になっておりこの世に存在しています。それを味わい楽しみ、慈しみながら生きていくところにこの世の仕合せがあります。
子どもたちに本物を結び、譲り遺すためにもさらなる高みに向かって精進していきたいと思います。
コメント
ご縁のようなせっかくの導きを、一時の感情や未熟な我が邪魔をして自ら切ってしまうことがあります。これはほんとうに気をつけなければなりません。一方の「探求力」は「求道」に近いかもしれません。これは一面修業的で非常に厳しいものでもありますが、魂的には大いなる悦びでもあります。そして、好奇心をもってどこまでもその高みを目指せるということはとても幸せなことでもあるでしょう。