一つの生き方

人は主体的な能動的であるとき、やる気が出てくるものです。しかし自分のやりたくないことや否定的なことをやらされると感じるとき、やる気は出てきません。これは感情がその人のやる気を調整しているからです。

しかしよく考えてみると、人生というものは生きていればやりたくないこともやりたいことも同じくらい出てきます。やりたいことだけをやっていたら、それと同じくらいやりたくないこともでてくるのです。

これを毎回、自分でやっていたら結局はやりたくないからやりたいこともしないという具合に消極的になることが多いように思います。

その中で、どんなこともやる気に満ちていて人生を楽しみ充実させている人がいます。日々に、一期一会だと真剣に向き合いどんなこともやる気がある人がいます。そういう人たちの共通する特徴は、やらされているという感じがないということです。

つまりどのようなことでも、「自分のやりたいこと」になっている人はやる気がつねに湧いてくるということでしょう。では、やりたくないことはどこにいったのかということです。この方々は、「やりたくないことも含めてやりたいことになっている」ということが前提にあるように思います。

物事の捉え方、物の観方が最初から異なるのです。

何のためにやるのか、なぜやるのか、それを突き詰めている人はどんなことも必然であり必要なことだというマインドセットを持っています。そして大きな意味で、それは自分の魂が望んでいることであるという自覚を持っています。

そういう人は、すべてやりたいことだったと自分の意識をすぐに切り替えることができる訓練を積んでいるのです。生きていれば、本能もあり感情もありますから心の声に従えといってもなかなか言うことを聴いてくれないのが人間です。

しかし何度も自分の初心や心の声に問いかけて、本当は自分はこれをやりたかったのではないかと自問自答する中で次第に磨かれていきマインドセットされていきます。それを修練を通して、気が付くとすべてやりたかったことに換わるマインドを身に着けるように思うのです。

人生は一度きり、日々は常に一期一会。感情に左右されても、目的は失わない。そういう生き方ができる人が、人生のプロセスを味わい、初心を忘れずに豊かで楽しい人生が送れるように思います。

現代は、忙しすぎてそんなマインドセットの修練をするよりもすぐに目先の結果ばかりを追いかけてしまいます。心豊かに生きられる人生は、成功も失敗もなく、そこに最高の人生があっただけです。

子どもたちのためにも、一つの生き方としてお手本を目指していきたいと思います。

  1. コメント

    「必要なものは、必要な時に、必要な形で、必要な分だけ与えられる」といいますが、これを信じるなら、人は常にちょうどいい状態で見守られ、応援されているということになるでしょう。これを受け入れるなら、「必要」なものは「望んでいる」ことになるかもしれません。一時的な感情ではなく、その奥にある「自分の在りたい姿」にしたがってきちんと向き合いたいものです。

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