昨日、ある建築家の手掛ける空間を拝見する機会がありました。要所の空間で遊び、子どものような素直な感性で手作りで仕上げていました。空間というものは、その人の観念がカタチになっていくものです。
その人の創り出す空間を観ていたら、その人の心が観えてきます。同時にどのように遊んでいるのかを感じます。現在は、あらゆる常識によって建物はこういうものだという概念が出尽くしてきています。
しかし、限られた場所でどのように空間を生み出すか、まさに空間を遊ぶことで新しい常識や生活スタイルも提供することができるようにも思います。若く瑞々しい感性を感じることは、新しい建築様式の未来を感じます。
ちょうど、建築のことを考えているときに日本のインテリアデザイナーでもある植木莞爾さんの言葉に出会いました。まだお会いしたこともありませんが、ものづくりに関する心に共通するものを感じたのでご紹介します。
「物をつくるとか、デザインするということは、自分を表現することであり、インテリアデザインでは空間に自分自身の意味を与えることである。意味を与えられた空間には場の意味が存在する。場の美しさは建築、インテリアの複雑さの中から見出す物であり、そこへ自分自身を投影することである。その調和までの、長い過程の中で美しい感覚が徐々に完成されてゆくのを見るのが私は好きである。結果としてあらわれる場の美しさは、私の願望であり、私自身の思想、意思、現在の生活のすべてから構成される。場の美しさの追求は私の仕事の情熱となり、永遠のものとなる」(植木莞爾)
場の美しさの追求とは、心の美しさの追求でもあるように私は思います。どんな美しい心を磨いていくか、その洗練された場にこそ自分自身の空間があります。
場が生まれていくというのは、美しい心が誕生していくということです。
場と空間はまさに生き方ですから、これからも子どもたちに素晴らしい場を創造していきたいと思います。
コメント
いわゆる芸術と呼ばれるものだけではなく、「話すこと、歌うこと、書くこと、描くこと、動くこと、形にすること、引き出すこと、創ること」のすべてが「自己表現」であると言われます。そこには、自分の意味があり、自分自身が投影されているでしょう。そう考えると、働くことも、遊ぶことも含め、暮らすことすべてに、自分の心が投影されていることになります。もう少し「人生という芸術」を意識して、自分の暮らしの場を妥協しないで丁寧に創っていきたいものです。