新しい場の創造

コロナ自粛の要請で、テレワークやオンラインでの生活様式が続いています。私たちも、1月末からテレワークに切り替え、今でもオンラインとオフラインを組み合わせて働いています。

特に東京では、ほぼ出勤がなくなり月に1度くらいしかみんなと会うこともありません。もともと朝サミットといって、お互いの感情や情報を共有しながら健康的に働くための実践をしていましたからそれが続いているくらいで他はほとんどオンラインでやり取りしています。

とはいえ、私は福岡で場づくりをしていますからあまりコロナの影響も受けずコロナ対策は当然しますがそれよりもコロナ後の「新しい場」を探求して創造することに余念なくワクワクと働いています。

そもそも場にはつながりがあります。このつながりをどう新しくしていくか、そしてそのつながりがどのように場を創造していくか。居場所や全体快適などは、その場づくりする人の思想や哲学、仕組みが大きな影響を与えます。

人はご縁で結ばれていくものですが、そのご縁の集積地をどのように手入れするかは、その人たちの生き方が決めていきます。この手入れという思想には、自己を磨くという生き方があります。自己研鑽を通して、目的を磨き続けていけばそのうち場が醸成されていくからです。

最近では、この醸成する喜びや仕合せというものが遠くなっているように思います。私は、発酵が大好きですから、色々なものを醸成しています。漬物をはじめ、パン酵母、ぬか漬けに味噌、そのほか畑の作物もそうですがすべて醸成するものばかりに触れています。

そうすると、そもそも醸成することが場づくりであり、場は醸成することで出来上がるという道理を知るのです。そして今、場が求められてきています。しかしこの場とは、単なる今までのスペースではないことは明らかです。

スペースがあったからと人は集まれなくなったのです。だからこそ場に集まる意味が必要な時代になったのです。場はこれから新しい時代の新しいつながりを醸成していくところです。

子どもたちが、安心して未来に希望をもってつながり合えるように今から丁寧に手入れし仕込んでいきたいと思います。

  1. コメント

    コロナの影響によって、学校に行かなくなったり、会社に行かなくなる経験をして、「そこに行く意味」が問い直されています。それは同時に、「今まで何のために行っていたのか?!」ということを確認することにもなっています。実際には、「集まってはいたが、協同していた訳ではない」というケースもあるでしょう。「人が集まる意味、集まる理由」というものを、勉強や仕事からではなく、「人間の原点」から考え直してみたいと思います。

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