椅子との出会い

徳積カフェで導入する椅子は、日本の伝統的な木工を使って製作された70年代の椅子とご縁があることになりました。私は椅子のことはあまり深めたことがなかったので、どこからつながりを持てばいいのかと大変悩みました。

最初は、民藝の椅子からはじまり海外の椅子の事を調べました。その後は、日本的な椅子とは何か、そしてそもそも椅子というものは何かということを深めていきました。結局たどり着いたのは、不思議ですが70年代の椅子がもっとも相性がよく導入を決めました。

改めてそこからわかってきた椅子のことを少し深めてみます。

そもそも椅子のはじまりは人間が座るためにかつては石や切株などの自然物が転用されさらに椅子が座るための道具として利用されてきたといいます。椅子の歴史で現代語られるのは古代のエジプトで椅子は権威の象徴として用いられたといわれます。

日本では平安時代に身分によって、椅子、床子などが用いられましたがこれはあまり普及せず、戦場などで折りたたみ椅子の床几(しょうぎ)や、露天の茶店などでベンチに相当する椅子縁台(えんだい)からでした。普段から畳に直接座る生活習慣を持っている日本人にはあまり椅子は馴染みませんでした。

そもそも和服も椅子に向いておらず、洋服は畳にあまり向いていません。無理に生活様式が変わってしまうことで、そもそもの相性のよかったものたちが不釣り合いになっていきます。なんでもそうですが、入れ替えではなく、順応するというようにその風土や環境、文化に合わせた変化や進化をしっかりとその時代時代の作り手や使い手たたちがブラッシュアップしていくことが文化の正常な発展には何よりも大切だと私は感じます。

話を戻せば、実は明治に入るころまで私たちは椅子に座るという文化がなく、江戸時代などは椅子に座ると足が痺れるというように椅子が苦手な人が多かったようです。今では床に座ることが苦手な人が増えていますが本来、私たちはずっと床に直接座るという生活習慣を持った民族だったということです。そして明治になって文明開化が叫ばれてからは、まずは学校や役場で椅子が用いられるようになりました。そして次第に一般家庭にそれまでの日本的な生活様式から、西洋的な生活様式に入れ替わる過程で同時に椅子もまた普及していったのです。

そこで今回、なぜ70年代のミッドセンチュリーの椅子になったかということなのです。戦後に、それまで戦争で使われてきた技術が平和のために使われ始めます。そのミッドセンチュリーを代表する家具のデザイナーといえば、チャールズ&レイ・イームズ夫妻、エーロ・サーリネン、ハーマンミラー社とイームズ夫妻を引き合わせたジョージネルソン、イサム・ノグチなど多くの人物がいます。日本では剣持勇、柳宗理などの名前が有名です。

1960年代から日本も高度経済成長期に入り、世界に通用するものづくりをすることを掲げ、あらゆるデザイナーたちが世界一を目指して品質を向上させていきました。そしてこの70年代には、それが認められ世界で日本人のデザイナーが活躍をはじめるのです。

この時代の家具は今見ても、本当によく練り上げられ洗練していて世界の家具の良いところどりをして日本の木工技術の長所を上手く組み合わせています。私はこの時代の家具の中に、世界の文化の一つに誇れる日本文化と日本のものづくりの魂を感じました。

今回のカフェは、日本の木工の粋を集めたものになりますからその木工の魂を温故知新して寛ぎ、日本の文化や徳を深く味わってもらうために70年代の椅子を導入することにしたのです。その椅子は、地元福岡発祥の辻木工を中心に、山川ラタンなど職人の業が光るものです。

手仕事の美しさ、その時代から今にいたっても普遍的なデザイン。この椅子に座って徳を語り合って子どもたちのために譲れる文化を遺していきたいと思います。

  1. コメント

    「椅子」の真価は、実際に使ってみてわかるものです。すなわち、一瞬腰かけただけではわかりませんし、ずっと気になるようでも椅子の役割を果たしていないと言えるでしょう。そういう意味では、椅子は「環境家具」といってもいいでしょう。デザイン等に魅かれて腰掛けたくなり、いつの間にか椅子の存在を忘れて時を過ごし、立ち上がったときに改めてその椅子の凄さに気づく、そのような「いい時を過ごせる環境」を創り出す椅子の世界は、とても奥深そうです。

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