先日、ある方と山の起源についての話をしました。そもそも登山とは何か、日本人は山とどうかかわってきたのか、少し深めてみようと思います。
そもそも私が山で最初にイメージするのは、神話の日本武尊(ヤマトタケルミコト)です。日本全国のあらゆる山で、日本武尊の形跡を感じます。
本来、日本では山岳は神仏の住むもっとも神聖な場として捉えてきました。入山にあたっては精進潔斎(しょうじんけっさい)をし、白衣をまとい、金剛杖に身を託していた山伏なども有名です。他にも、神話の中では常にその土地の山岳や霊山、聖山に身を清めて投じ、頂上や聖地にて祈りを捧げていました。
他にも、山には先祖がいるとし盂蘭盆会などの行事が伝承されたり、神様は山に住みサクラと共に稲の田畑に降臨すると信じられていたりと山に纏わることはほとんどが信仰の対象でした。
実際に信仰と関係がないような「登山」をするようになったのは明治以降大正時代くらいにはじまったといいます。これは西洋文化の影響だといいます。そもそも西洋文化での山は戦いの場であり、悪魔の住処であるとさえ信じられていました。私たちの日本人はアニミズムといって八百万の神々の調和で成り立ちますが、西洋は対立構造をもって対立概念ですから、善か悪かがはっきりするのです。山は善か悪かとみると、悪とみるのでしょう。
日本人は山や自然は心や魂の還る場所、いのちの産まれる場所と信じていたためそこは故郷であるという定義をします。山に登るというよりも、山を信仰するという気持ちで山に入ります。
私たちの故郷には、故郷の山を持っています。私の場合は、関の山という山がふるさとの象徴ですが遠くから眺めても心が安らぎ、山に入りゆっくりと歩き空気を吸い、頂上で大気を浴びて木漏れ日の瑞々しい風を感じて降りてくれば心身が恢復し、感情や精神も清浄な心地になり幸福を感じます。
山はいのりの場であり、山はいのちの甦生の場なのです。
信仰としての登山がなくなり、単なる経済合理性の登山が流行ってしまうことで山は単なる娯楽の一つになっていくのは寂しいものです。山が汚れたり、キャンプ場が廃墟になったり、山が傷む姿をみるのはなんだかとても辛いことです。
子どもたちのためにも本来の山とは何か、そして山とと歴史、「大和」の尊が歩んできた生き方を伝承していきたいと思います。
コメント
日本人にとって「山」は「信仰」そのものです。神社ができるまでは「山そのもの」をご神体として拝むケースも多かったようです。そういう意味で、そう気軽に登っていいものではなかったのでしょう。その「高み」や「堂々とした姿」あるいは、「季節を先取る様子」など、先人はそこに「見守りの神の姿」を感じたのではないでしょうか。山の神が怒られないことを願うばかりです。