プログラミングのはじまり

プログラミングやモノづくりで自動化のことを思い返していると、日本にも古来から自動化されてきた道具や仕組みがたくさんあったことに気づきます。例えば、少し前に見たものでは水車を改造し脱穀・精米・籾摺(もみすり)農作業の動力源がセットになったものがありました。

水のチカラを借りて自動化するシステムです。他にも風力や火力など、あらゆるものを用いて自動化する仕組みをエンジニアたちは考案していきます。コンピューターは電力で自動化できるものです。

人間が人間以外のチカラを上手く活用して、人間の代わりに働くように活用していくという概念。歴史を省みれば、それを発展させていくことで便利な世の中にしていったように思うのです。

私は分散型のブロックチェーンに関わる人間ですから、エネルギーを分散することも工夫しています。一つだけのエネルギーの活用だけでスマートだとはまったく思ってはおらず、ここでは水、ここでは火、ここでは風、ここでは土、ここでは木、ここでは菌、ここでは光など、ありとあらゆるものを効果的に活用しています。

まさにモノづくりの原点や根源のような暮らしを営んでいて、その中で電気はどう活かすのかということを考え続けています。

本来、私たちは便利さということにおいて自動化をしてきましたがそもそもこの地球のエコシステムほど自動化されたものはありません。みんなで共存共栄しながら発展し続けて調和する仕組みの中で働いているのです。

ここには一切の無駄もなく、最高の便利と共生しています。

便利の定義が、人間の狭い個人の世界だけで語られればその便利は地球や全体にとっての不便です。そして個人的な不便さは、実は全体に対しての最大の便利になることもあります。

私たちは何を中心に自動化するか、それをまずよく思案し思想を持ち、そういう人物が本物というモノづくりをするのだと私は信じています。

この「場」の学校において、和と場をつかったモノづくりの粋を楽しみ味わっていきたいと思います。

 

  1. コメント

    「全体と個」はバランスしていますから、「個」が自分の都合を持ち出すと、全体に影響を与えます。「便利さ」というのは、場合によると、一斉に「個のわがまま」を助長するようなことがありますから、「全体」の善を考えるなら、「使えるけれども使わない」という智慧と努力もときに必要でしょう。「便利さ」には、「楽」を得る代わりに「大事なもの」を失うケースが結構あります。その「失うもの」が人間力の退化にならないように、みんなで智慧を出し合いたいものです。

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