今日は、長野県で2ヶ園合同でソフトの研修を行った。
昼間は園内を見学し、状況や経過を見せていただいた。
仕事柄、刻々と一点に絞り込まれた問題意識を持ちながら集中して全国各地の園内を視てまわっていると他の人にはない色々なものが観得て来る。
やはり力があるとは、永続して持続する強烈な一点への命の懸け方なんだと思う。
ただ単に闇雲に眺めているのとは違うのでここで一度触れてみようと思う。
基本的に私は、「視る」という行為は以下の観点を特に重要視している。
まずは溶け込み一体になるように五感を研ぎ澄ます、経験を起こす。
そして360度の視点から刷り込みをとって観る。
危機感と問題意識の密度を一気に一点に集中する。
視野を深堀しそこから離れ世界から観た視野、経過を見つめる歴史的な視野、など様々な視野を同時にテーブルの上に乗せていく。
そして相手の姿勢や観点、生き様や内面から自分とその人にしかできないことを観ようとする。
最後は、謙虚に在るがままの真実や矛盾を受け容れていく。
子どもを視るときは、子どもたちが子どものように在るその在るがままの姿からも自然と照らし環境との不自然がないかを観る。
人工的になっていないか、人工的なところはどこなのかなどから環境を師匠の「見守る保育」に照らして真摯に洞察していく。
今がどのような未来につながるのかを考え、園長と経営や保育、全てが繋がっているイメージと絶対価値と相対価値の共通理解を持ちながら原因と結果や課題と本質を園長とともに観付け可視化を促す。
これが私がいつも気にしている「視る」ということになっている。
今回も色々な相談を夜遅くまで一緒に話し合った。
現在使っている園での保育の年案や期案、週案、日案の矛盾について話しをした。子ども主体の保育をする時、必ずぶつかる壁にこの書類が在る。書類は、何のために必要なのか、子ども達のために一体何を記録するのか、、、結局、ほとんどの書類を全面見直しすることになった。
昔は、意味があったものも時とともに変わっていくもの。
変わらない普遍的な部分は決して書類の方ではないのだ。
変えていいものは変えていい、圧力や権力にはうまくコナセバ良いと思う。
子どもを守るために「工夫するのも、常に上書きするのも」時代と国の未来を担う新しい『先生』像の定義の一つだ。
それにご本人が気づいてくれたこともとても嬉しかった。
そもそも、指導とか、計画、とか言葉や単語を使う場所が違っている気がする。
スキルを育てているのか、子どもを育てているのか勘違いやズレが起きる。
また、年で区切る理由や期で区切る理由も、どこを向いて書いているのか・・連続しているという当たり前のことも忘れるくらい意識をアチラ側に持っていかれているのだと思う。
子どもはただ自分の生の未来にしか向かっていないのに。
常に与えて側のニーズが矛盾の階段を仕込んでいくという現実に目をそらさずに正対して気づかないといけない。
また他にも大事なことを話した。
書類も家具もツールも意識もそういう理念がそうだがすべてにおいて保育を議論するには、その価値観が定量定性的に指標として共有できないといけない。
同じような価値観を共有する人たちでないと本気で突き詰めた議論をすることができないからだ。
そのためには、常に「視る」ことからはじめないといけない。
そしてそれぞれ「自分にしかできないこと」を視ることを一緒にやっていくことだと私は思う。
子ども達が、この目に映る人為的な混沌とした社会の現実から目をそらさず受け容れていけ、常に優しく共に寄り添い生きていけるようにもっと私にしかできないことで子ども達を見守っていきたい。
このカグヤという会社はもうすぐ大きく変わる。
コメント
何も考えずに行動することがいかに怖いことなのか感じます。やははり自分自身の中でしっかりと物差しをもち物事を考えていかなければ今ある刷り込みには気づくことが出来ないのだと思います。特に子どもたちに与える影響という部分を考えると、自分自身の行動や言動が良い影響も、悪い影響も与えてしまうかもしれないということを常に意識しておかねばならないのだと思います。意識することは大変なことかもしれませんが、子どもの気持ちから考えることや、子どもの目線にあわせて様々な事を考える事を大事にしていくことが良い影響へとつながる近道なんだと思います。同時に見守るということはやはり大人と子どもとの関わりだけではなく、大人同士のかかわりの中でも必要不可欠な関わり方だと感じます
コメント
意味を考えずに、自分だけの見地から物事を進めてしまうと、自分にとって都合のよい、
自分勝手なものになってしまうのではという事を考えさせられました。何事にもまずは
というその「まず」という段階から刷り込みを取って、本当に最初の段階から考えて
何が最も良いのかということから考え、実行に移していかないといけない。自分の欲を
満たすためだけのことをやっているのではないのであり、会社にとって、お客様にとって
社会にとって、子どもにとってどうしていくのかということを意識して行かなくてはと
思います。何よりも自分が常にその姿勢を維持出来るのか、ふっと立ち止り、視野を
広げて視るということの大事さを考えさせられました。
コメント
相手の問題を聞こう、悩みを聞こうとしていたが、子ども主体からずれていないか良く洞察することも大切だと感じました。
また、自分は物を売りではなく、悩みを聞くのではなく、子どもたちを救うために悩みを聞いていることを忘れずにいたいと思います。
そのために、まず自分がぶれずにいることが大前提で、相手に子ども主体からぶれていることを正すくらいの気持ちでいなければならないと思いました。
自分のカグヤでしたい根本的なところからぶれないようにしたいと思います。