私たちは自然の生態系から生き方を学んできた民族であったといいます。それは神道にも修験道、山岳信仰などにもみられるように何を師としてきたか、何を原点としてきたかはその経典や歴史の先達の方々の生き方からも感じるものがあります。
そして不思議ですが、過去に先人が体験した智慧を私たちは自然の中から感じ取ることができます。それは山に登ることであったり、海に入ることであったり、畑を耕すことであったり、それはただ体験しているだけではなく、先人の記憶に同化してその記憶から智慧を感じ取っているのです。
私たちが感じる智慧は、知識で得られるものではありません。つまり経験や体験といった「験」を得てはじめて感受できるものです。生きる智慧や、自然の法則は今はじめて得ているのではなく長い歴史の中で培ってきた遺産なのです。
これは人類に限らずすべてのいのちはその智慧と共に生き続けているとも言えます。
現代においては、自然から離れた生活をするあまり、智慧が分からず智慧に出会わず、智慧を使えずに迷い惑う日々を歩んでいくことが増えています。少し前の時代も、智慧をもった人物が山で悟り里で導くということで智慧を伝承していました。
智慧の伝承は、何よりも私達だけなく子どもたちのこれからの未来においてもとても大切なことです。
まずは自分自身がその智慧を会得するために修行し、その修行したものを一緒に体験しながら学び合える「場」が必要でそこに「道」を歩んでいくための導入が要ります。
それは旧街道を歩んだり、山岳修行に同行したり、暮らしの中で気づくといった験によるものが何よりも効果があるように思います。
子どもたちに伝承していきたい智慧を集めていきたいと思います。
コメント
私たちが日々当たり前のように過ごせているのは、先人の限りない努力によって生まれた「智慧」のお陰です。その一つひとつの智慧の背景には、永い永い時間があり、数限りない失敗があり、たくさんの犠牲も伴って生まれたものです。それは、あらゆる分野にわたっています。それらの最終形をただ味わうだけでなく、その過程の験に思いを馳せながら、その努力を引き継ぎながら、私たちも新しい智慧を生み出していきたいものです。