徳積堂が次第に仕上がってきていますが、先日ようやく円窓が無事に設置できました。この円窓から観える優しい竹林と石や灯篭、そして風が吹き抜ける空の景色を室内から眺めることで心を落ち着かせていきます。
朝昼夜の時間帯で無数に景色が入れ替わり、この窓から観える世界がまるでどこか別の空間にいるかのように錯覚できるものです。この円窓とは、禅の考え方であり、私も龍安寺の円窓を参考にして今回は仕立てました。
そもそのこの円窓の由来は、円相(えんそう)といって禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたものからだといます。別名「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれています。
私は二宮尊徳の「一円観」というものを大切にしていますから、この「一円窓」はこの徳積堂においては何よりも重要な窓の一つです。また「己の心をうつす窓」という意味で用いられているともいいます。
すべてを一円の中で物事を観る、私はこの徳積堂の窓を禍福一円窓ともいい常に景色は善悪正否を取り払い、あるがままで円く観るということを意識しています。
また御堂や茶堂、利休の茶室の窓なども参考にしています。茶室では、様々な種類の窓があります。その窓は、どのように採光を取り入れるかで考案されたものばかりです。
私は、和の暮らしの中で常に陰翳を観てその陰翳に合わせて物を配置していきます。物の見え方、いのちの観え方は陰翳によって顕現しますからどのように光を取り入れるかはとても大切なのです。
千利休は、北向きだった茶室を、南向きに作り、室内に窓を開けたといいます。有名な待庵(たいあん)は、北向きの落ち着いた一定の光に対して、南向きにし、窓を開けることで、変化する光を取り入れたと考えられています。
茶室を設ける場所で、それぞれの光の取り入れ方が異なるため東西南北が重要ではないと私は思います。私は、朝陽を背景に湯気があがるのを眺められるように天井側に欄間ガラスを設えています。そして、入り口側は暗くしてにじり口から入るようにし、時間帯によっては障子戸にして採光を調整します。また円窓も、四枚の障子戸を組み合わせて時間帯では日陰を楽しめるようにしています。入り口から正面には、むかしの波ガラスの扉が六枚が入り、ゆらゆらと柔らかい光が夕方に向かって入ってきます。また池に映し出された夕陽の日差しが強いときは格戸でつくった特注の雨戸からの美しい縦の日陰と日差しが室内を優しい風と共に包みます。円窓の反対側のトイレの方には、手作りの薄ガラスの模様が格子が入った欅の障子戸を通して映し出されるようにしています。古い建具たちが光の乱反射を落ち着かせ、独特の佇まいになるように配置して設計しています。
いのちそのものを感じ、いのちを陰翳が映し出す美しさに心を和ませる場になっていけばいいなと願います。子どもたちが安心して、自分の存在やいのちを喜べるように美しい茶堂を立てたいと思います。
コメント
「鏡に映すように見よ」と言われることがあります。それは、自分が選り好みをせず、すべてをあるがままに見る、あるがままのすべて受け入れる、ということです。一方、「窓を絵の額縁に見立てる」方法があります。これは、景色の一部を切り取り、その一瞬の芸術を楽しむ世界でしょう。こちらは、クローズアップされた世界にその奥深さを感じ、一瞬の中に永遠の今を味わう工夫です。いずれも、汚れた肉眼で見る世界ではなく、心に映る世界を、清らかな心眼で素直に味わう時間なのではないでしょうか。