何か一つのことを究めていくと同じことが他のことでも使えることがわかります。それは感覚のことです。感覚が研ぎ澄まされていけば、その感覚を使って他のことも理解していくことができます。
これは知識が増えてからできることではなく、感覚が研ぎ澄まされるというのは逆に削られていくということです。削られて洗練されていけばいくほどに、感覚の方が鋭敏になっていきます。その時、集中力や創造性、芸術面なども高まっていくように思います。
そう考えてみると、修練や鍛錬は感覚を磨き続けるために必要なのかもしれません。言葉もまた道具ですから同じです。常に日々に、課題を発見して磨き続けることであらゆる感覚を拓いていくことができます。
そして個々人がこの感覚を磨くということを大切にしていれば、自ずから直観的に一つの理想の世界に近づいていくように思うのです。感覚にはそれだけ神秘的なものが潜在的に存在しているように思います。
新しい技術の発明や、新しい芸術の創造もまた感覚が引き出していくものです。感覚があるから私たちは目に見えない世界を直観することができ、その直観したものを現実に創造していくこともできます。
偉大な音楽家の音楽や、数々のアーティストたちの作品の中にもその感覚が磨かれた一つの境地を感じることができます。ただ時間は有限ですから、一生をかけて何を実現するかはそれぞれに異なります。しかし感覚的なものは一つであるように感じるのです。
子どもたちの好奇心が世界を拓いていくように、感覚を磨き続けて子どもに学んでいきたいと思います。