例大祭の準備

BAに八意思兼神と龗神に御鎮座いただいてからまもなく1年が経とうとしています。妙見神社、またブロックチェーン神社としてこの1年は本当に不思議なご縁に恵まれた1年でした。

この場所は、遠くに龍王山を正面に望み眼下には八龍権現池が広がります。そしてお社はBAの中心に座し建物全体を見守るように存在します。毎朝、ここに手を合わせてお参りをし祝詞を捧げ奉ります。

大きな磐座越しにみえるお社と壮大な空、苔むした和の庭は清浄な気持ちを呼び覚まします。

この1年は思えば、信仰と取り組んできたことばかりでした。

私たち日本人は、もともと自然崇拝から信仰の道に入ったといいます。自然に存在する偉大な存在に畏敬を感じ、その自然を拝むのです。そのうち、そこにお社が建ちそこで祭祀をはじめたといいます。

それはその「場」からいのりがはじまったことを意味します。この場と祈りは常に一体であり、祈りのあるところに場があり、場があるところにこそ祈りもまたあるのです。

場の道場において、祈りは場を磨き道を昂揚するためにも欠かせないものです。

その祈りは、日々の暮らしの中で醸成するものであり、日々の祈りと手入れ、そして磨くことによって清廉に研ぎ澄まします。

日本人として、その生い立ちの歴史に沈む精神性の溜りの奥深いところに信仰の火は灯っています。その火は、私たちが生きている以上いつまでも灯っていますからその灯りを思い出すことでいのちの灯も甦ります。

甦生は私の人生の一大事ですから、引き続き日々の暮らしを例祭のようにお祀り、古くて新しいものにいのちを輝かせていきたいものです。

来週の例大祭の準備を、慎んではじめていきたいと思います。

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