滝行の甦生2

現在、滝行の甦生に取り組んでいますが偶然にも英彦山とも縁の深い豊前国の川面凡児氏のことを知り、禊の起源について改めて考え直す機会を得ています。

昨日は滝行の起源はインドの僧、裸形上人であると書きましたがそもそも滝行の本質でもある禊の起源は日本では『古事記』にある伊弉諾がはじまりです。

伊弉諾が黄泉の国から生還し筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原の瀬で身を清めるために禊をした故事です。これは、祝詞の中で必ず最初に入ってくる文言です。

つまり神代の親祖がはじめて禊をしてから現代にいたるまでずっと私たちは禊行を実践してきた民族ということになります。まさに日本文化の根元にあるもので、この禊はこれからも子孫に代々受け継がれていく大切な伝統であるものです。

川面凡児氏は、そのかつての禊を甦生し、奈良時代から形骸化してた禊行を復興させた人物でありそれが現在の神社神道の禊行の雛型となっているとも言います。

なぜこれが復興できたかといえば、偶然に川面凡児が奈良時代の禊行のことが書かれた古書とのご縁があったからともいわれます。それから本質を解き明かし、それを見事に本物に磨き上げたのでしょう。

祖神の神髄を会得することに真摯に取り組み、またその取り組んで会得した至上の智慧を社会のために役立てて世界を平和に導いていくお手本にされました。

禊は、私たち日本人には決して欠くことはできないものでこれによって私たちははじめてかんながらの道を歩んでいくことができます。川面凡児氏が実現させたことは、今でも私たちのお手本になるものです。

私も微力ながら、その一端を甦生させられるように社会のため、子どもたちの未来のためにこの時代に相応しい禊の本質と滝行を甦生させてみたいと思います。

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