当たり前の真実を直視する

無事に今年の宗像国際会議が終了しました。天候にも恵まれ、上手にコロナ対策をし、人との結びつきや繋がりも生まれ見事な3日間に感動しました。実行委員会の方々をはじめ、いつもおもてなししてくださっている関係者、配慮ある裏方の皆様、そして神社の皆様には心から感謝いたします。

昨日は、安宅和人さんと黒田玲子さんとのセッションでしたがとても学びが多く有難いご縁になりました。現実をあらゆる方法で伝えてくださり、そこではじめて今、世界で起きていることを知る人もいたかもしれません。

環境問題は、地球に住む私たちにとっては本当に重大な問題です。この環境がある御蔭で私たちは営みをつくることができますが、環境がなくなれば元も子もありません。

「当たり前」の真実を直視するということは、私たちが第一歩を踏み出すためにはとても重要だと私は思います。

人間は、今の環境を変えたくないとき当たり前(現実)を直視することをやめてしまいます。特に今の状況があることが当然だと思い込んでいるのであれば尚更に、自分は変えずに何とか周りを変えることができないかと方法を求めようとします。

しかし現実を変えるというものは、まず本当のことを知ること、現実を受け止めること、そして自分が何を変えればいいかと受け容れることができてはじめて実現するものです。

例えば、環境問題は環境のせいではなく自分自身の問題、自分のせいであること。これは現在の環境問題は人間がやっている問題なのだから、そうなります。なので、根源治療は人間を変えることしかありません。対処療法は永遠に増大していきますが、対処できなくなるまで続きます。それでは環境問題を解決するためにかえって環境に負担をかけて消耗していく本末転倒にもなりかねません。

人間の数も増えて、どうにもできないから対処療法になるのですが遠い未来から今を逆算してみて、まず自分自身からお手入れしていくしかありません。歴史を変えてきたのも、人類の方向を変えてきたのも最初はみんな「一人」からはじまっているからです。

そして自分が変われば、世界も変わるということを歴史は証明しています。

人間はみんな「欲」という病が備わっていますから、うまくその病と付き合うためにもなるべく未病になるようにし、一病息災の健康を保つように養生していくのがいいと思うのです。

それは心の豊かさ、徳を積むことで実現すると私は思います。

一人一人の心が豊かであれば、そしてみんなが徳を循環するような譲られたものをそのまま磨いて子孫に渡すようにすれば人間の心も、そして環境も、足るを知るように永遠の循環をめぐります。自然界に見習えばそうなります。

気を付けるのは対立概念や物質的なものの見方にもっていかれないことかもしれません。あっちかこっちかではなく、あるがままの当たり前(現実)を観ること。みんなで当たり前が何かをもう少し議論できるようになれば、当たり前のところから変えていけると変化もまたスムーズです。

もっと自分の手や足や感覚で、世界で起きていること、自然に発生していることを実感することからだと私は思います。都市の中でなんでも自由に人間の思い通りになる便利な場所を離れて、山に来てほしいと思います。山に来れば、色々な当たり前に気づきます。

今日からいよいよ日本三大修験場の一つ、英彦山で最古の宿坊「守静坊」の甦生に入ります。宿坊と一緒に在る200年以上の枝垂れ桜のご神木も今か今かとお待ちいただいています。

徳を積むことを、実践を通して伝え、みんなで世の中の当たり前を変えていけるようにまずは私自身、自分自身を変え続けていきたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

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