コロナウイルスが出てからほとんど田舎のようなところで暮らしていますが久しぶりに都会にいくと人の多さに驚きます。20年近く都心で生活して福岡と二拠点で往来していましたがこんなに長く東京に行かなかったことははじめてです。
思い返すと子どもの頃、人の多いところにいるのは疲れていました。大人になり都会に住めば気にならなくなっていましたが、久しぶりに都会の人混みの中にいるとどっと疲れます。
何が疲れるのかと思うと、もちろん視界に入ってくる情報が多すぎて気になることもありますが様々な音や匂いや物体に五感が反応し過ぎて疲れたのがわかります。
田舎の自然の中で過ごしていると、五感が鋭敏になっていきます。都会は便利ですから、五感を使うよりも便利なものに委ねていくことで適応していきます。脳がある程度まで対応できれば、脳の反応だけで事足ります。
バーチャルリアリティの技術が進化していくのも、都会での生活がベースになっていることがわかります。現実と理想の間で、人類はあらゆることを分類わけして切り取って住み分けていきます。
とはいえ、田舎でも私たちは便利な道具を用いて自然と分離させていきます。
例えば私がこの書いているブログの部屋も、外の自然と窓ガラスを隔てて分けています。窓を開ければ寒い空気が入ってきます。窓が閉まっているから自然を眺めながらも寒さはありません。頭では寒いのだろうとわかっていても、身体は寒さを感じていません。香りも音もあまり入ってきませんし、雨も風も入ってこないので五感のアンテナはその感覚を拾おうとはしていません。
自然というのは、全身全霊で感受するものです。
そうして自然の持つ様々な気配を動植物たちは分かち合い共に生きています。いのちは自然を受け容れる器があります。いのちのままであることは偉大なことです。そして人間は愛があります。思いやりや真心で人間のあらゆる行いを受け容れる偉大な愛を持っているともいえます。
このいのちと愛のことは、そろそろ付き合いを決めた方がよさそうな時機に入ってきました。
新しい価値と普遍的な価値の学び、その両輪をまわしてみたいと思います。