最近、山とかかわり始めてからジビエ料理を食べることが増えてきています。このジビエとは何かというと、これはフランス語で狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉を意味する言葉です。
もともとヨーロッパでは貴族の伝統料理です。日本では鹿や猪がジビエでよく使われていますが、もともとフランスでは貴族しか食べられないほどの高級食材だったといいます。貴重な野生動物を食べるのだから肉から内臓、骨、血液、その全ての部位をすべて料理に使うといいます。栄養価も高く、食べると独特の高揚感というか体の芯から熱く漲ってくるようないのちを食べている感覚があるようです。
日本では古代からこの野生動物は身近な食材だったといいます。縄文の遺跡からも、ウサギ、クマなどを食べた形跡があるそうです。まだ稲作が入ってなかった頃は、山から色々な食べ物を集めては食べていました。毛皮は加工して暮らしのあらゆるところに役立てていたともいいます。
それが平安時代になると仏教が伝来し、食べることが禁止になったりもします。しかし山の周辺の人たちにとっては野生動物を食べなければ生活もできませんからなくなることはありません。江戸時代にも一般的には狩猟が禁止になっていますが、鴨料理やしゃも料理などは人気だったといいますから野生動物は食べていました。
明治以降は、牛肉や鶏肉、豚肉など養殖によって増やすことになり便利に食べられるようになってから野生動物を食べることが減ってきたともいいます。本来は、高級食材で滋味を味わうものでしたが近代になってから獣害のことが出てきて鹿肉や猪肉を捨てるのではなく何かに活用しようとフランスのジビエに注目して取り組む飲食店も増えています。
この時代は本当におかしなことに、物が溢れ、獣が溢れとバランスが崩れていますから過去の歴史と在り方が逆転していて価値もまた逆転しています。本来は、貴重な価値だったものが今では獣害として価値がなくなり処分に困っているということ。
なぜ野生動物を食べていたのかということも忘れてしまうくらい、今は食が溢れているということでもありますが本来食とは何かということを考えさせられるいいきっかけになるとも感じます。
むかし上司の山小屋で狩猟していた猪を檻の中で食べるまで飼育していたことを思い出しました。周囲には強烈な獣臭と強烈な殺気、そして檻に身体をぶつけては今にも襲い掛からんとする怒りの形相にたじろきました。野生動物と対峙するというのは、いのちのやり取りをするということです。
今の時代、侍などもいませんからいのちのやり取りなども身近ではありません。しかし、野生に入るというのは本来の自然に近づいていくことでもあります。人工的になんでもできる時代ですが、こんな時だからこそ原点を忘れないで野生を宿した人間のままでいたいものです。
子どもたちにも時代の節目に相応しい本物の暮らしと食を譲り遺していきたいと思います。