私たちは身の周りには多くの人たちの御蔭様で存在しています。同時にそれは今までの御先祖様や先人たちの苦労や努力、真心の集積の御蔭様であることがわかります。この書いているブログも、パソコンがなければ打てませんし、インターネットの環境があるのも多くの人たちの御蔭様によって成り立ちます。
そうやってもうもう一度、身の周りを見渡せば何一つ御蔭様でないものはないことに気づきます。これは本当はすごいことだと思うのです。私たちはみんながつくってくれたものや、大勢の人たちが残してくれたものの恩恵を多大に受けています。自分がやったことはその恩恵を使って形にしただけです。
恩恵あってこそと気づけるかどうか、そこに人の謙虚さがあるように思います。
今の時代は、お金を払えばやって当たり前のような風潮があります。サービスが悪いとか、費用対効果がないとか、損したとか得したとか、そういう話ばかりをします。裕福になっているのはなぜなのかとは考えず、裕福になってもないものねだりや不平不満ばかりを繰り返します。それは御蔭様であることを忘れるからです。
実際に、自分が何かをしようと思う時、それができると思うのは能力に過信しているからです。今の自分があるのは、多くの様々なお力添えをいただいているからだと気づけば目には見えない力をお借りしている感謝の気持ちが湧いてきます。自分が今、あるのはそういうものの集積だと思うと、自分自身に対する感謝の気持ちも湧いてきます。
家があるのも、食べ物があるのも、本があるのも電気があるのも水があるのも、それぞれがみんなで協力し合い助け合って実現しているのです。その徳を使って人はまた徳を積みます。徳は自分の喜びがみんなの喜びになるようにしていくことです。そういう気持ちでいたのなら、物も喜び、人も喜び、地球も喜ぶようにしていきたいと思うようになります。
むかしの人たちはそれが観えていたからこそ、謙虚に懐かしい未来をつくり続けてきたのかもしれません。
時代が代わり、消費文明において謙虚さを失っていきますが今の自分があるのは何の御蔭様なのか、忘れないで歩んでいきたいと思います。