昨日、無事にクラウドファウンディングの目標を達成することができました。約60日の間、皆様からご支援、応援、激励をいただきそれが力になりました。思い返すと、最初は小さなほんの小さな活動からはじまりました。協力者もごくわずかで、話も半信半疑、こんなことは夢物語ではないかと心配されていました。
私も必ずやり遂げると決心してからも、数々の困難や試練が訪れ挫けそうなことばかりでした。今度こそは無理かもしれないと諦めそうなところを支えてくださったのは信じてくださった方々の想いに応えたい、裏切りたくないという思いだったようにも思います。そして、いつもその困難な現場に足を運んでくれて気持ちよく手伝ってくださって徳を一緒に磨いてくださる方もおられました。あらゆるご支援いただいた方のその心がどれだけ工事の時の支えになったことか、、本当に感謝しかありません。
特に今回の宿坊は、もともと僧の暮らす家だからこそみなさんの布施を集めて甦生させたいと願っていましたから特にお布施のプロセスを重視して取り組んできました。寄付といよりも、自他一体に徳を喜びあうように全体の仕合せを意識して取り組みました。その御蔭様で甦生も無事に取り組んでこれました。
そして取り組むのにもっとも大事にしたのは歴史をつなぐことです。最初からこのj業は日本の伝統的精神で取り組みたいと願い、かの東大寺の大仏の布施を集めた重源上人や行基菩薩のやり方を参考にしてきました。もともと大仏建立は聖武天皇が自らの不徳を反省して世の中が真に安らぐようにと願い取り組んだはじまりです。しかしここに日本の和の心の原型があると私は感じています。
この聖武天皇の時代は本当に大変で政変、旱魃・飢饉、地震、病気、そして愛する幼子を亡くし、もうこれでもかというような災難や苦難の連続でした。そして天平9年(737)聖武天皇は自ら省みて「責めは予(われ)一人にありと全責任は私一人の不徳であったと定め、そして大仏造立の詔を発します。
そこにはこうあります。
「人有(あり)て、一枝の草、一把(にぎり)の土を持ちて、像を助け造らむと情(こころ)に願はば、恣(ほしいまま)に聴(ゆる)せ」
意訳すれば「もしも、誰かが、一枝の草や一握りの土を持ってきて、自分も大仏造立を手伝いたいと言ったならば、これを許せ」と。つまりどのような小さな力でもいい、みんなで和心を合わせて心を一つにしようと言葉掛けるのです。そして布施を集めて見事に美しい大仏を建立するのです。
私もこの歴史を知った時、涙が出ました。御先祖さまたちはこうやって苦難のたびに人々の心を一つに和合し、大事な局面をみんなで小さな力を合わせて繋いできてくださったのだと。これを参考にしたいと願ったのもこの歴史を学んでからです。
一枝の草、一握りの土、それでもいい。みんなで一緒に心ひとつに徳を積もうとの声掛けにこの苦しい時代を転じて人々を分断から救ったのではないかと思うのです。
はたしてこの現代は、どうでしょうか。今はまさに分断の時代ともいわれています。物質的には豊かになりましたが、心はどうでしょうか。みんなの心は一つになっているのでしょうか。小さな力を合わせて、本当に大切なことをみんなで守ることができているのでしょうか。
宿坊の甦生は、単に古民家を直して観光名所や発信拠点にしようとしているのではありません。むしろその逆です。秘かに静かに平和を守るために先祖たちと同じ気持ちで丹誠を籠めて山の暮らしを慎んで実践していく。そして未来の子孫たちに、その祈りや願いを伝承していきたいから甦生させているのです。
心は形はありません、しかし心はみんなでカタチにできるのです。
この宿坊をこうやってみんなの気持ちを一つにして甦生してこれたこと、自分のこと、そしてみんなのことを心から誇りに思います。御先祖様も喜んでくださったでしょうか。直接の何のメリットがなくても、子孫や未来の徳のためにと真心でご加勢頂いた皆様に改めてこの場をお借りして心から感謝いたします。
皆さんの心のカタチを守静坊でしっかりと守り続けていきたいと思います。
来月にはすべてととのえて、7月初旬には皆さんと苦楽を分かち合うような感謝祭を開催したいと思います。ぜひ徳の余韻を皆様にも感じていただきたいと思います。日時が決まりましたらまたお知らせいたしますので、引き続き見守りをよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。
一期一会 令和4年5月31日
一般財団法人徳積財団 副理事長 野見山広明 拝