醫験合一

修験道のことを深めていると、医に中ります。この「医」はもともとは「醫」の略字です。会意兼形声文字でできていて(殹+酉)からなります。これを漢字漢和辞典で調べると、「エイッというおまじないの声を示す擬声語(隠す箱・矢・木のつえを持つ象形)」と「酒器の象形」から、薬草酒等を使って「病気を治す人」を意味する「医」という漢字が成り立ったとあります。

もともと医療の起源、古代は加持祈祷によって病気を治したということがわかっています。それが現在の科学技術によって病気を治すことになっていますがその変遷をみると、如何に病気に対して医者が変化してきたかということもわかります。

中国から仏教が伝来するとき同時に医療技術、漢方などが入ってきます。針、灸をはじめ湯薬、湯治などもそうです。それを用いて僧侶が病を観るようになっていきます。当然、身体だけではなく心の病気というものもあります。心と体は繋がっていますから同時に看病していく必要があります。病によるどうにもならない苦しみや辛さに、仏陀の知恵が役にたってきたようにも思います。

今もですが、病気は治るものとどうしようもないものもあります。そんな時、人々は神にすがるものです。真摯に修行を積んだ僧侶が、心身合一して磨き切った心身元氣の妙法を何かしらの巫術などで治癒したこともあったかもしれません。

英彦山の中興の祖の法蓮上人もまた、そのような医術をもった人物であったといわれます。国東の六郷満山もまた仁聞菩薩によって同様な医術を持ち布施により聖地が醸成されたとあります。

近代になって大きく医療が変化したのは明治以降の西洋的な医療が優先されてからです。江戸時代までは和漢、またオランダからの医療が調和していましたが現代ではもっぱら西洋医学の方が信頼されています。今ではようやく未病が必要ではないかと、予防医学に取り組みはじめています。ウェルビーイングなどもですが、病気にならないような暮らし方などもはじまっています。

医の歴史には、修験者の歴史も同時に鑑みることができます。

改めて、修験道のルーツを辿ってみたいと思います。

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